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素朴な疑問
514
:
犀角独歩
:2002/09/16(月) 18:45
ここの掲示板でも、ずっと長いこと30万登山が話題になっているわけなんですが、なんでこんなことが大騒ぎになるのか、一般からすれば不思議なことですね。
30万登山に行く=信心があるという図式がここにあるようで、インスタントな信心の証が目先のニンジンになっているわけですね、これは。
法華講員に限らず、学会員もそうですが、「いかに自分が信心があるのか」を証明するために、組織が提示した信心の証明法を疑うこともなく夢中になって実行している構造があるわけですね。
法華講であれば、30万登山、供養、学会であれば、それに投票依頼、新聞啓蒙、書籍販売、民音の勧誘まで含まれ、顕正会も共通するのが、朝晩の勤行、折伏。これらは、みな信心の証明として用意されているわけです。各人が信心ある証明となる実践項目はしかし、組織に縛り付け、労働力と金銭を差し出す形で具体化される、信者は一所懸命、自分が信心があることを、周囲の人間にアピールするために熱心になっていく。そして、誰により自分自身に対して、信心がある証明をしようと躍起になっているわけですね。
しかし、こういうトリックに引っかかること自体、要するに信心なんてないからでしょう。そして、構造的には信心が労働力と金銭拠出にすり替えられていく仕組みがひそんでいます。信心は本来、個人の功利性を約束するものであるのに、あにはからんや個人ではなく組織が労働力と金銭を得る結果となっているわけです。
このように個人の目的が、いつの間にか他の目的にすり替えられる仕組みをマインド・コントロールというわけです。強盛な信仰心が強烈なマインド・コントロールである仕組みがここに隠されているわけです。これは信仰の問題ではない社会心理学的な問題であると私が感じる所以です。
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