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素朴な疑問
513
:
アネモネ
:2002/09/16(月) 09:43
(つづき)
>この30万総登山も個人的には、何かしっくりきませんね。
本当に同感です。私はとうとう参加拒否になりました。ですので、五月雨さんの生々しいレポート、とても貴重に読ませてもらいました。
入信して7〜8年ですが、30万登山のことは信徒の大きな目標として掲げられた所へ、その意味をよくわからないまま入信したんですね。徐々に信心が深まっていくものの、年々、その数字に講をあげて信徒が煽られ踊らされていく様子がとてもチグハグに感じてきました。私のことを仲間に入れてくれた講の人々が、徐々に徐々に人間性を失っていく姿を見てきた7〜8年だった気がするんです。
その数字のために、多くの人が入れ替わり幹部になりましたが、生活や仕事を犠牲にし、そして最後は人間性とともに自分を見失っていく。そして同時に心の奥底には、疑心暗鬼とともに怨執みたいなものも芽生えてしまう。その頃には顔つきまで変わっていかれます。これが、幹部のたどる道のように思えました。
結局は、心に余裕がなくなってしまうんですね。私は組織とは別に、そんな心の常態になってしまったことを経験したことがあるのですが、そこから脱却して健全な心を取り戻すには、そのグルグルの渦から物理的に逃げ出すしかないんですね。逃げることは決して卑怯でもなんでもなくて、自分を大切にすることなんだと、そう思うんです。離れて健全な心を取り戻すと、かつて苦しんでいた自分の状態が冷静に見えてくるんですね。
先日、たまたま道で地区長と二度もバッタリお会いしました。一度目は道を隔てていたこともあってご挨拶を避けられてましたが、二度目は至近距離で避けるわけにもいかなかったのでしょう、いきなり「30万行かないの?」これがご挨拶でした。もう、普通のご挨拶も出来なくなってしまわれているんですね。この方、壮年部の方のお葬式の式場でお目にかかったときも、いきなりこのご挨拶だったんですよ。ご自分ではそれが正しいご挨拶になっているんでしょうね。悪い人ではないんです。真面目な方なんですね。なのに組織信心に真っ直ぐに生きているために、とうとう奥さまと子どもさんは出て行かれたそうです。本人は自分の信念で信じているからまぁそれはいいとしても、家を出て行くしかなかったご家族はさぞかし情けなかったことと思います。何のための仏法なんだろうなぁと思いますね。大石寺よりも自分の家族を下に置いてしまう信心って、本当に成仏の道なのかなって思います。こういう状況に陥ってしまっている人、またその潜在的な予備軍の人がどれほどいるだろうかと思うと、お寺を離れたからといって決して無関心でいてはいけないなと思い、こうして掲示板に参加していこうと思っています。
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