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素朴な疑問

505いちりん:2002/09/11(水) 10:37
補足です。

成長しないという意味合いは、「おんなじことを繰り返してしまう」ということもありますね。また、いつもの
 ──「轍」(わだち)──
にはまってしまうということです。

ブッダの探求は、この「轍」(わだち)にはまつてしまうことからの、解放にありました。
この「轍」とは、つまり
  ──輪廻──
ということですね。おんなじパターンで、生きてしまう。そして、死んでも、またおんなじパターンを繰り返す。そのおんなじパターンなのことを、別の観点から言うと、
  ──宿習(しゅくじゅう)とか習気(じっけ)──
などと訳されます。どうしようもない生きるうえでの傾向性みたいなものですよね。

で、仏道修行というのは、この宿習とか習気を、根本的にクリアーしてしまうことが目標なのかもしれません。

そのことは、ただお題目を唱えるとか、やみくもに活動しても、なかなか難しいというのは、身近な人間を観察すれば、容易にわかりますよね。なかなか人間は、変わらない。おんなじことばかりやっている。人によっては、信仰するとますますヒドくなったりする。ますます頑なになって、柔和さがなくなる人がいる。

そこで、ブッダは、やみくもにお題目を唱えろとか、折伏しろなどとは言いませんでした。どういう修行法を提案したかというと、
 ──自己観察、気づきの道──
であります。

このことを、
 ──念(サティ、つまり気づき)とか観(ヴィパッサナー、つまり自己をよく観ること)──
ともいうんじゃないかと思います。

日常生活の中で、自分の感情のパターンに気づきなさいよ、気づいた時点で、それはもう超えていくことができると。それが、わたしがいま探求している、ブッダのセラピーというような世界です。


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