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素朴な疑問

483犀角独歩:2002/09/05(木) 18:22

五月雨さん:

> 「事の一念三千」は生命を説かれているのではありませんか

おお、こうきましたか(笑)
ほぼ、生命論の濫用はいちりんさんが書いてくださったとおりだと思います。

で、この一念三千ですが、これは言葉をよく見てください。生命三千ではないでしょう。“一念”三千です。これがすべてですね。一念に三千を観るということです。生命は三千に諸相があるなんてことを言っているわけではありません。一念が生命でしょうか。違いますよね。一念とは心の問題です。止観の序に

説己心中 所行法門 (己心の中に行ずる所の法門を説く)

というのです。では心が生命でしょうか。心は心です。生命ではありませんね。

要するに止観の原文に当たらず、一念三千を生命で解説したものから止観を読むと、すべて生命の解説に見えてしまうのです。固定観念というのは恐ろしいわけです。

大石寺系グループを私はカルトというわけではありませんが、カルトというのは教義、聖典をどのように読まなければいけないかという、「たった一つの解釈」を押しつけるものです。そして、この解釈を受け入れないと「地獄に堕ちる、悪いことが起きる、謗法だ」と鞭をふるい、反対に信じれば、「幸福になる、功徳がある」と飴を与える呪文をかけて、それ以外の一切の解釈を斥けるように操作するものですね。

「生命」という言葉を、石山系グループではそのように濫用していると、私は糾弾しているのです。


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