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素朴な疑問
468
:
犀角独歩
:2002/09/04(水) 08:22
五月雨さん:
> 「日蓮大聖人の御生命が直ちに宿られるのである。」ちょっと気持ち悪さを覚えるのですが、こんな事を大聖人は本当に説かれているのですか。
そんな馬鹿な(笑)
説かれているわけはないでしょうね。
もっともらしい偉そうな文体で書いてありますが、ぜんぜん内容がない。虚仮威し文章ですね。
だいたい、この文章でいちばん、そもそも間違っているのは「生命」という一言です。
真跡といわず、真偽未決書を含めても「生命」なんか説かれているところはどこにもありません。まったく全然、真面目に研鑽していない証拠でしょう、この文章を書いた人間は。真面目に、時代、文献考証をしたら、恥ずかしくて「生命」なんて言葉は使えなくなります。
澁澤氏の以下の指摘はもっともなのであって、こんな考証もなく、「日蓮大聖人の御生命」などと言って恥ずかしささえ感じない厚顔無恥な程度の悪さが石山のレベルかと思うと情けなさで腹も立ちません。
「文学者の鈴木貞美氏が「大正生命主義」という名で取り上げた当時の主だった思想傾向で、その生命主義的世界観を支える「神秘主義」の流行なのです。大正生命主義とは、鈴木氏によれば「日露戦争後から関東大震災に至る時代の思想・文化状況において、『生命』の語が氾濫し、『生命』がその時代のスーパーコンセプトになっていた現象を名づけたもの」と定義されています。現代もまた、「生命」という言葉が時代のスーパーコンセプトに押し上げられている状況にあるといえます。 生命という語は氾濫していますが、しかし生命が何であるのか未だ明確に定義されているわけではありません。そうした状況の中で宗教界においても伝統・新宗教を問わず、「宇宙生命」や「久遠の生命」と表現される「生命主義的世界観」が、きちんとした検討を通すことなく教義の中心を説明する口当たりのよい現代的概念になっているという現状があります。しかし、それは六十年前の神秘主義・生命主義の流行がただ無批判に反復されているだけかもしれないのです。ニューエイジの諸要素を教義に繰り込んだオウム真理教の事件以後の問題としても、ニューエイジを含む生命主義的世界観をどう捉えるかは大きな宗教的課題になると思います」(宗教と科学について−ニューエイジ批判を通しての一考察−渋沢光紀師)
http://www.genshu.gr.jp/DPJ/booklet/001/001_07.htm
私の生命論は批判はかなり早い時期からでしたが、仏教的見地から、この点の、特に創価学会の非を突いたLibraさんの論考はお薦めです。つまりは、学会で醸造された生命論は、今なお依然として石山に影響を与え続けていると言うことです。
宇宙生命論は仏教ではない Libraさん
http://page.freett.com/Libra0000/z001.html
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