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素朴な疑問
459
:
五月雨
:2002/09/03(火) 11:22
大白法9月1日号に「創価学会と離脱僧らの再度の邪難を摧破す」という日蓮正宗青年僧侶邪義破折班の文書が載っています。その中に
「貴殿ら創価学会と離脱僧は、“立宗3月説の根拠となる御書についてはいずれも大聖人の御真蹟が現存せず、反対に立宗4月説を裏付ける大聖人の御書『聖人御難事』『諌暁八幡抄』には厳然と大聖人の「4月28日」との御真筆が残されている。この一事をとってみても、4月28日のみに立宗会を修することが門下の道である”などと、相変わらず身延ばりの御真蹟偏重の戯論を述べている。当方が、御真蹟のない御書でも、例えば『開目抄』のように、御書のその意義内容を根本として尊重しなければならないと教えた意味がまるで理解できていないのである。貴殿らの頭の悪さ頑迷さには呆れ返る。」
とあります。御書のその意義内容を根本として尊重するというのは、偽書であろうがなかろうが、意義さえあれば御真蹟といっしょだという意味でしょうか。私が意義のある御書を書いたら、それは真蹟となるのですかね。元々石山には、御書は真蹟でなければならないという考えはありませんから、こんな結論付けが成り立つのでしょうか。
石山の教学ってちょっと壊れていませんか?
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