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素朴な疑問

452犀角独歩:2002/09/02(月) 16:04

450 五月雨さん:

まああ、聞く耳持たない翁は、放っておくのがよいでしょう。
このお爺さんの悲しい姿は、本人は「えっへん、わしはこんなに信心強盛なのじゃ」と思っているかもしれませんが、以下のハッサン氏の指摘そのままであろうかと思います。

「忠誠心と献身は、あらゆる感情のうちでいちばん高く評価されるものである。メンバーは、部外者に対して以外は、消極的な感情を抱いたり表現したりすることは許されない。メンバー決して、自分自身や自分に必要なことへ感情を向けず、いつもグループのことを考え、不平は絶対に言わないように教わる。彼らは決してリーダーを批判してはいけない。代わりに自分自身を批判すべきである(と教わる)」

このような人に何を言っても無駄なことは、ここ掲示板でも言い出しても、他の意見など耳を傾けず、自分の言うことを繰り返すような閉ざされた人々の例を見ればわかります。結局、私たちに採るべき最良の選択は

「本人が求めてもいない批判的な記事を送ったりしない。そういう情報は、実際は益よりも害のほうが多い」

というハッサン氏の指摘を忠実に守るべきです。忠言耳に逆らう、自分たちがいちばん正しいという操られた他者蔑視は、反対に遭うほど強固になるばかりだからです。

また、無疑曰信、疑いを無くして信じるを曰うことには、思考停止を共用する短絡とは別に、本来の意味は全く違うでしょう。そのお爺さんの言っていることは、まあ言わば、不疑曰信といったところでしょう。つまり、疑わず信じるということです。

無疑と不疑、どこがちがうのでしょうか。これは天地雲泥の差があります。
無疑とは自分の心の中に湧き出る一切の疑いに答えを見いだした結果が信であるということ、不疑は単に疑わないこと、意味も精神もまったく違いますね。

まあ、これぐらいのことは、原島嵩さんだって、『池田先生への手紙』のなかで記していました。この人はいまは法華講なんだそうですから、同じ法華講同士。なんと言っても昔の教学部長、年はお爺ちゃんよりは下とはいえ、役職至上主義者には、かえって私のような創価学会の役職とは無縁であった人間の言葉より、聞く耳を持つかもしれません。

ちなみに、この原島さんの本を私にくれたのは“住職”でした(笑)


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