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素朴な疑問
451
:
犀角独歩
:2002/09/02(月) 14:58
436 たまちゃん さん:
五月雨さんからのご依頼を受ける形になりました。
果たして私が答えてよいのかどうかわかりませんが、記させていただきます。
疑問として提示されたところ、漫荼羅図示の根本問題から、応用に跨る重要事項であると思います。つまり、けっこう難しい質問ですね。ですから、私が思う範囲で、という限定で記させてください。
> 御本尊様に天照大神と書かれていました。
これは日本の神ですよね。
何故書かれているのでしょうか?
文献的に言えば、本尊三度相伝の
一、釈迦と申すは天照太神西天に釈迦と顕はれ諸仏の本誓妙法蓮華経を説き一切衆生悉く是れ吾が子なりと宣ふ、日本に又大明神と顕はれ正直に方便を捨つる本願の誓に酬て正直の頭に宿る、末法濁世の時は日蓮聖人と顕はれ諸仏の本意を顕はす、左れば釈迦上行天照太神、日蓮聖人只一躰の習にして釈迦幼少の御名は日種と、天照幼少の御名は日神と云ふ最も謂れあることなり、其れ天照太神と云ふときんば法華本迹の躰にて御座すなり、天照太神は面は女躰にて御座せとも実には陰陽和合神にて御座すなり、天と云ふ字は二人と書く是れ則陰陽の二なり、明神の明と云ふ字は又日月と書けり則ち日月は陰陽の躰、本迹の二門なり
また、
七、日蓮と御判を置き給ふ事如何(三世印判日蓮躰具)、師の曰はく首題も釈迦多宝も上行無辺行等も普賢文殊等も舎利弗迦葉等も梵釈四天日月等も鬼子母神十羅刹女等も天照八幡等も悉く日蓮なりと申す心なり、之に付いて受持法華本門の四部の衆を悉聖人の化身と思ふ可きか。
ということになるのでしょう。
しかしながら、この文献の示すところに拠れば、「日蓮聖人只一躰」「悉く日蓮」ならば、なにもいくつも書かなくてもよいのではないのか?という疑問が湧きますが、このように同体異名を同一上に記すことを互為主伴として充てるようですが、この語は他にも当たる意味があります。
なお、多分、このご質問の根底に漫荼羅は虚空会(相伝では霊山会)を図示したものであるから、遠く日本の神が入るのはなぜかという伏線もあるように思えます。
私は、この点は、漫荼羅は聖人己心の図示であるからだと考えています。
この点については、どなたかが示されていました。特に聖人の真跡に見られるところではないので、決定的なことは言えないところと惜しまれます。
> 伝教大師があるなら、聖徳太子とか鳩摩羅什とかはどうでしょう?
他門では、このように真筆漫荼羅に見られない聖衆を記すことはあるようです。
私が聞いた中では「行学院日朝上人」を記すということがありました。
また、いわゆる葬儀用の漫荼羅では、五道冥王、閻魔法王を入れるなどの例もあるようです。
> 仮に御本尊に現代板があったらどうなるのでしょうか?
これは難しい。どうでしょうか。たまちゃんさんは、どのようにお考えになりますか。
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