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素朴な疑問
37
:
問答迷人
:2002/04/16(火) 13:17
独歩さん
27の、「なお、曼荼羅についていえば、顕師の血脈の可否によって功徳を云云するのは、私はナンセンスであると思っています。内証を写したとは思いませんが、750年已来の化儀に基づいて書写されたものでしょうから、拝する側の御信心の問題であろうと思うわけです。」
私も、そのように判断しています。聖人のお認めを正しく写された曼荼羅を拝して、罰が出るとか、利益がないとか、変てこな議論だと思います。そんな議論とは、一線を画すべきであろうと考えています。
モモさん
36の「『真偽考証』まで踏まえて教義を批判すべきである、ということは言われてみれば当然のことですが、私はこの掲示板ではじめてその意義を知りました。」
私も、従来は考えてもいなかった視点です。独歩さんはじめ、徹底して聖人の教えを求める方々は、やはり、そこに行き着かざるを得ないと思います。そういう真偽考証を単なる学問として蔑み、信仰は学問とは違うんだ、と仰る方々が、現実には大勢でしょうが、その方々に、どの御書が真蹟御書なのか、とお聞きしてみると、答えに窮される場合が、多いのに驚きます。宗派、所属団体のアナウンス通りに信じることが、はたして、信仰のあるべき姿でしょうか。私は、つい、次の、立正安国論の末文の一節を思い浮かべてしまいます。
『我(われ)一仏を信じて諸仏を抛(なげう)ち、三部経を仰ぎて諸経を閣(さしお)きしは是(これ)私曲(しきょく)の思ひに非ず、則ち先達(せんだつ)の詞(ことば)に随ひしなり。十方の諸人も亦復是くの如くなるべし。』
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