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素朴な疑問
3495
:
れん
:2007/07/26(木) 19:55:07
犀角独歩さん、ご教示有難うございます。
日興の漫荼羅で、日目と同じく「日蓮聖人」の表記で「書写之」をも記さなかったものが一幅だけあります。それは正応三年十月八日付けの僧日仙授与のものですが、日目が漫荼羅の書式において、日興が確立していった漫荼羅書写様式に拠らず、日興の初期の極めて一時期の書式を採用したことは、それなりの自意識が日目にあったとともに、現在言われるような特別の漫荼羅“書写”の相伝が無かったことの証拠と言えますね。
日郷の漫荼羅は管見では二幅写真で拝見してますが、日目と同じく「日蓮聖人」「書写之」無しの書式で、日目の弟子で日目の漫荼羅の書式を継承したのが日道ではなく日郷であることは興味深い事実ですね。
日目自身の教学はその教学的な自筆の(とされる)著述が石蔵で公開されていないものが数種あるので、その全貌は今もって明らかではありませんが、おそらく、尊師実録や日郷の弟子日叡著述の「類集記」や「後信抄」の内容と大差は無いのではと考えております。
何れにせよ、日目は日興から「一中一弟子也」と特記されるも、漫荼羅の書式が日興の確立した書式を用いないこと、日興直弟の自筆漫荼羅を見ても、日興の書式だったり、日目が用いた書式だったりと、本山住持は結構思い思いにやっている印象ですので、石山に限らず、この時代には漫荼羅“書写”の特別な相伝などというものは未だ成立をみてなかったのではと考えます。
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