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素朴な疑問

3493れん:2007/07/25(水) 19:18:56
初期石山歴代の漫荼羅を見ますと、日道以降日有までの漫荼羅に勧請の諸尊座配等は全く派祖日興の漫荼羅に拠っており、弘安二年中に日蓮が図示した十余幅の御筆漫荼羅と何の脈絡も無いのは、石山上代に「弘安二年」の揮毫に係る日蓮御筆漫荼羅が存在していなかったことの証左だと考えます。
「日蓮在御判」も派祖日興の漫荼羅を見ますと「日蓮聖人」「日蓮聖人御判」「日蓮在御判」「日蓮御判」表記が様々であり、室町初期の石山住持の日時・日影は「日蓮聖人在御判」と自筆漫荼羅に書いています。「書写之」も初期石山歴代で確認出来るのは派祖日興と日道のみであり、目・行・時・影・有の書いた漫荼羅に「書写之」はありません。
よって、資料から細かく検討しますと「日蓮在御判」「奉書写之」も、これが石山において定型として定着するのは、犀角独歩さんがかねがねご指摘の通り、明らかに後世に属することであり、これらのことからも、石山が主張する意味での日蓮から日興への“書写”に関する唯授一人の相承なるものは無かったと見るのが当然だと存じます。(石山には伝日興撰文献として、係年が弘安五年とされる首題点画秘抄なるものがあるそうですが、江戸中期の日因写本とのことですし、本文未見でもあるため考察の埒外に置きました)。


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