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素朴な疑問

3479一字三礼:2007/07/20(金) 23:00:58

マターリさん

>私は安楽行品の全文を読んでいませんが、差別思想が書かれているようなので、釈尊の思想に違背しますね。

根本仏典で釈尊は、自らの出自(ゴートラ)身分を誇り、パーリア(賎民)の定義を説きます。

仏典・論書等のテキストをどう扱うか、ということは実は大きな課題です。

1、テキストを、それが作成された時代の社会・文化を考慮に入れ、作者と同じ視点に立って評価をする。

2、テキストを現代の価値基準で判断し、否定される個所は削除し、肯定される部分のみ採用する。

3、テキストを個人的な価値基準にのみ照らして、評価する。

上記のうちで、どれが正しくテキスト(仏典・論書)の価値判断をしたことになると思われますか。
私は、1〜3のどれも間違いであるとは言えないのではないかと考えますがいかがでしょうか。

日蓮が、なぜ安楽行品を重視しなかったか、については「開目抄」がその回答になると思います。
この書の執筆動機のひとつは、法華行者でありながらなぜ難に遭うのか、にあります。

「疑て云く、念仏者と禅宗等を無間と申すは諍う心あり。修羅道にや堕つべかるらむ。又法華経の安楽行品に云く_不楽説人。及経典過。亦不軽慢。諸余法師 等云云。汝、此の経文に相違するゆえに天にすてられたるか。」(開目抄)

この疑問を解決したのが、毒鼓の縁の功を織り交ぜた‘受難による罪障消滅’の考え方です。
正しく法華経を行じながらも難にあった不軽菩薩の‘其罪畢已’を我が身に当てはめたのでしょう。

安楽行品は迹門、不軽品は本門ですから、日蓮が本門の法門によって、迹門の疑難を乗り越えたのでしょう。


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