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素朴な疑問

3347犀角独歩:2007/06/10(日) 14:13:33

マターリさん

> 日蓮門下として、神社に行って良いものなのでしょうか

たとえば八幡神社の多くは日蓮宗寺院と隣接して造立されています。

創価学会もかつては、大石寺の信徒団体でしたね。
富士宮にある浅間神社は、その大石寺が統括していました。
日興が造立した重須談所には、本地垂迹堂やら、八幡社がありました。
石山にも垂迹堂がありました。都合が悪いために資料性に難癖をつけられている日量の『大石寺明細誌』には以下の記述があります。

「天王堂本堂前東方西向向拝唐破風檜皮葺、四間四面、日天月天を勧
請す神躰は板本尊。
 垂迹堂本堂前東方西向宮造一間四方、天照八幡を勧請す神躰は板本
尊」

ここに「神体」とあります。寺院境内に造立された神社ですね、両方とも。
たぶん、これら堂宇は明治の廃仏毀釈、神仏分離令まで存続していたのでしょう。もし、神を拝んではいけないのであれば、漫荼羅にある神はどうなるのでしょうか。

日有は『化儀抄』に

「一、他宗の神社に参詣し一礼をもなし散供をも参らする時は、謗法の人の勧請に同ずるが故に謗法の人なり、就中正直の頭を栖と思し召さん垂迹の謗法の人の勧請の所には垂迹有るべからず、還つて諸神の本意に背くべきなり云云、但し見物遊山なんどには神社へ参せん事禁ずべからず、誠に信を取らば謗法の人に与同する失あり云云」

ここに「神社へ参せん事禁ずべからず」と明確に記されてあります。化儀抄は南条日住の正本を存します。一方、神社不参の根拠とされるのは『日興遺誡置文』の一節でしょう。

「一、檀那の社参物詣でを禁ずべし、何に況んや其の器にして一見と称して謗法を致せる悪鬼乱入の寺社に詣づべけんや。返す返すも口惜しき次第なり。是全く己義に非ず、経文御抄等に任す云云」

この金科玉条の如く扱われる文献は、しかし、その正本が日興のものである証拠は何一つありません。また、先の『化儀抄』には「日興上人の時、八幡の社壇を重須に建立あり」とあります。

わたしの個人的見解から言えば、「天照大神」「八幡大菩薩(神)」と大書された漫荼羅を拝みながら、神社不参もないものだということです。

そもそも神社不参より、もっと悪いことがあります。日蓮の真筆だと謀った彫刻を本物である偽って信者を集め、その写しであるといって、まるで内容が違う漫荼羅を本尊といって印刷大量複写して信者に拝ませる。わたしは、こんなものは戦前に郡部が配布した神札よりもっと日蓮の意に背くものであると思いますが。神社不参を云々する以前に斯様な漫荼羅本尊の成否を問うことが先決であると、わたしは思いますが、如何でしょうか。


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