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素朴な疑問
3344
:
犀角独歩
:2007/06/10(日) 08:05:59
マターリさん
わたしたちは、21世紀という時代を生きています。
科学的証明という現実を突きつけられています。
日蓮の時代は末法ではありませんでした。末法を説いた『大集経』は後世の創作でした。なにより、法華経は西暦前100年から後150年に創られたものであり、釈迦の直説ではありませんでした。漢訳された法華経、すなわち『妙法蓮華経』は恣意的訳が多く、原意から乖離している部分がありました。その漢訳を元に構成された天台(実際は章安の述)の釈でした。その天台の釈をさらに説明した妙楽には飛躍があります。これら釈は妙法蓮華経という漢字5文字に基づく構成です。梵語原典とは距離があります。さらにそれを踏襲した伝教は、その釈に積極的に「本尊」語を適用していきます。日本仏教の特徴、本地垂迹説、神仏習合があり、その様相は原意からさらにかけ離れていきました。日蓮は本覚の影響も、本地垂迹の影響を受容し、さらに本尊義、漫荼羅(密教)の影響も受けて、独自の法華観を展開します。日蓮の没後、日興は漫荼羅を本尊と定着させ、日蓮の仏像崇拝を撤廃、さらに日有に前後し、日隆の影響を受けました。日蓮本尊論の展開がありました。中世に恵心流口伝法門、また、日教が招来した京都の影響を受けました日蓮本尊は日蓮本仏へと変容しました。財力にものを言わせ、文献収拾した日精はm本門戒壇堂(御影堂)を建立し、この頃より、「本門戒壇の大御本尊」が看板になります。この文献収拾(つまり相伝、口伝の寄せ集め)を大成したのが日寛であり、さらに日蓮本仏と捏造された「戒壇本尊」を一体のものとする珍解釈を以てこれを鼓舞しました。
以上、雑駁な記述ですが、このような延長に、我々が信じ込んだ教学と本尊があります。ひと言で言えば、一切合切、後世の創作であったということでしょう。
しかしながら、これはわたし個人がなす批判と言うより、現代科学が実証した偽らざる実像であるということです。しかし、反面、われわれは数十年に亘る信仰経験を有しています。所謂「体験」というものです。この創作という事実と、体験には歪みがあります。
真実であるが故に体験があったと思っていたのにもかかわらず、創作虚偽であるにもかかわらず、体験が生じていたという歪みです。
この体験を生んでくれたシンボルとしての日蓮、南無妙法蓮華経、もっと言えば本尊、勤行、唱題にたいする畏怖と崇敬の念もあるでしょう。
この事実と虚偽、体験との狭間で、21世紀の日蓮を考えようというのが、当掲示板の趣旨でした。
単に反対者を侮蔑、悪口雑言したところで、科学が証明した事実は何ら変わることはありません。その事実を真摯に見つめ、では、どうするのかというアポリアは、超えられるかどうか。しかし、まず、大切なことは100年前に崩壊した「我々日本仏教」の実態を、正視することから始めることである。何故ならば、創価学会を含む大石寺圏の教学は冒頭に記した創作に基づく虚構であったからです。
出発はここにあります。
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