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素朴な疑問

3196パンナコッタ:2007/02/06(火) 14:50:58
しかし熱原の事件は、みなさんの考証を見ていると無理矢理"三烈士"を作り出した伝説のような
気がしないでもないですね。(烈士の語彙は池上兄弟を二烈士に譬喩した兄弟抄に対するのかな?)
御伝の「大聖人の御弟子数百人僧俗斯の如く頚を切たるはなし」→おかしいですね。八月に弥四郎男が頚を切られているのに。
これは彰往考来さんご指摘のように後世の産物でしょうし、追伸末尾の「在世一代乃至于時応永十年癸予九月廿二日の
三行あるに依り後師誤りて日時上人作の三師之伝とせし事あり今因に之を記し置く」が、言わずものがなでしょう。

この時期の日興写本"伯耆殿御返事"を見てみますと、『但現証の殺害刃傷のみ』は、御神事の時の四郎男、
八月に頚を切られた弥四郎男の事でしょう。 また、この弥四郎に関連づけて本門戒壇の板本尊伝説が形成された
パッチワークの一助になっている(日付の相違を含め後代に混乱・改竄はされたでしょう)ような気もしますね。

さてここからは単なる主観なのですが、この弥四郎男、本当に個人の弥四郎さんなのでしょうか?
滝泉寺申状(今では滝泉寺大衆日秀日弁等陳状案と言うそうですけど)の該当文は、
 『政所代去四月御神事之最中
  法華経信心之行人令刃傷四郎男去八月令切弥四郎男之
  頚【日秀等擬刎頭事此中書入】』
 http://www5f.biglobe.ne.jp/~goshosys/colum_ft.html  (原文17年2月のC参照)
"弥"という字は妙楽の「教弥」でおなじみの、弥【いよいよ】という副詞の意味もとれますので、
"去ぬる八月弥(いよいよ)四郎男の頚を切らしむ" だったのかもしれません。(?_?)エ?
まあ、これは単なる思いつきに過ぎないのですし、その様に読めないこともない程度のことですが、
独学徒さん指摘の常忍筆の、この部分の文章のつながりは悪くはないでしょう。(被害者は一人でより強調された文意になりますな)

いずれにせよ苅田狼藉事件以後ばかりがクローズアップされますが、人が斬り殺されたことに言及できるのは八月に頚を切られた
この"男"であり(弟子分本尊目録の記述や徳治三年の脇書があった上で)、この人物の扱いが自分にはチト不憫に思えたので、
この様な愚考をした次第です。


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