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素朴な疑問

3188独学徒:2007/02/05(月) 11:36:03

犀角独歩さん、

はじめに昨日の投稿に誤記がありました。

誤:富木常忍の御妻・妙常日妙が駿河国熱原弥四郎国重の娘である
正:富木常忍の後妻・妙常日妙が駿河国熱原弥四郎国重の娘である

です。失礼しました。


>つまり、この図は、それまでの資料を整理して、江戸期の人が、作図したものということでしょうか。

「日蓮門下系図」では、日通が披見した身延や中山法華経寺の宗祖真蹟遺文や真蹟曼荼羅に関する記述があるので、日通は系図作成の為にそれらの諸山を遊学していたものと思われます。
「日蓮門下系図」では、富木常忍の後妻を駿河国熱原弥四郎国重の娘としていますので、あるいは中山門流にそのような伝承があるのかもしれません。

「日蓮門下系図」は玉沢妙法華寺第33世の境持院日通によって書かれたもので、日通は1702年に出生し1776年に没しているとありますので、18世紀中ごろに作成されたものであろうと思います。
「日蓮門下系図」は日通の師僧である能持院日週が作成した、「過去帳」の裏に書かれているもので、興風談所の解題を要約しますと、当時の日昭・玉沢門流の思想的影響の下に作成されているとのことです。
能持院日週は1677年出生で1714年に没しています。そのことから日週と日通の接点は、日通が12歳までの間の期間ということになります。内容的に見ても、師日週の残した「過去帳」の裏に、ある程度修行を積んだ日通が書き込んだものと思われ、日週・日通の共同・同時進行的に作成されたものとは思えません。
よって、「日蓮門下系図」自体は18世紀中ごろの作成ではないかと思われます。
その意味では、れんさんご指摘の大石寺歴代としては、31世日因師の活躍された時代とほぼ同時期ということになろうかと思います。


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