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素朴な疑問

3144犀角独歩:2007/01/29(月) 09:39:06

―3143からつづく―

れんさん

> 日興が日蓮御影木像を造った…日蓮の絵像もあった

この二つはどんなふうに扱われたのでしょうね。
ありのままに日興の言かどうかわかりませんが

「日興が云はく、先づ影像を図する所詮は後代に知らせしめんが為なり、是に付け非に付け有りのまゝに移すべきなり。之に依って日興門徒の在家出家の輩、聖人を見奉る仁等一同に評議して其の年月図し奉る所なり、全体に異ならずと雖も大概麁相に之を図せり、仍って裏に書き付けを成す云云。但し彼の面々に図する像一つも相似せざるの中に、去ぬる正和二年日順図絵の本あり、相似の分なけれども自余の像よりもすこし面影有り。而る間後輩に彼此の是非を弁ぜんが為に裏に不似の書き付け之を置く」

・善いところも悪いところもそのまま描け
・評議して年月を書け

これは尊像というより、もはや記録ですね。

たくさん書かれたり・造られたりしたけれど、どれも似ていない、そんななかで正和2年に日順が描いたものは、少しは面影がある。でも、のちに誤解があるといけないから、裏に「似ていない」と書き付けたというわけですね。

この文章が信頼できるものであるとすれば、本当に日興は御影像を造っていたんだろうかという疑問が彷彿とします。だいたい、ここまで厳しいことを日興が言っていたとして、(これは言っていたでしょうが)では、日興が造らせた日蓮木像があったとして、どんなに似ていたのか?、似ていたのであれば、その像を写生すればいいではないかという疑問が生じるわけです。

自分の造った木像だけは僧宝の意義を有する尊像だけど、あとはみなスケッチ、日付をちゃんと入れとけ、似てないと書いた?

本当にそんな遣り取りだったんでしょうか。

むしろ、日蓮の面影を写すものは何もなく、だけど、あとからあとから、まるで似てない絵像が、日蓮だといってたくさん造られる、これは困ったことだという日興の心中と見たほうが自然と感じます。すると、そもそも日興造立の日蓮像なんて、ほんとうにあったんだろうか。あったとすれば、「儂のだけが似ているぞ」と言っているようなものですね。これも似てないけれど、だけど、これは僧宝日蓮像でいいんだと、そんな強言を日興がしたかどうか。
どうも、すっきりしません。


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