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素朴な疑問
3143
:
犀角独歩
:2007/01/29(月) 09:38:38
そうすると、日興の往時、すで日蓮木像があったということになるわけですか。なるほど。この点、ちょっと、最後に記します。
独学徒さん
> 日興の振舞…日蓮本仏圏…『住持三宝』…仏法=日蓮御影/法宝=大曼荼羅/僧宝=日興
これは石山では下種三宝です。住持三宝ではないでしょう。
「住持」というのは、いまの言葉で言えば、住職ですね。
ですから、執行師が指摘されたように、当住に重があるわけですね。
日蓮の段階では釈迦冥益・日蓮顕益、日興の段階では大聖冥益・日興顕益、歴代「法主」の段階では日興冥益・当住顕益とスライドしていき、さらに隠尊冥益・当住顕益とまで、位置づけられる論理です。要するに「法主」の今日蓮論であり、石山能化が言った「御法主上人猊下は戒壇の大御本尊と不二の尊体」などという表現は、本仏でその彫刻と人法一箇であるはずの日蓮のオハコが石山住職に置き換えられてしまっています。つまり、これでは、日蓮は本仏の脱仏で、下種仏が当住であると暗に言っているようなものです。まさに当住顕益です。
元来、三祖に絞る石山教学は、保田の日要の扱いなどと、この点でやや相違していたとわたしは考えています。ですから、住持三宝という考えが、石山に根付かなかったのでしょう。しかし、日顕さんの段階ではそうではなくなった。以上のような次第ですから、当住三宝と下種三宝は、ややニュアンスに相違があります。
なお、わたしが宝前の三宝と言ったのは、日興在世当時、宝前は漫荼羅本尊(法宝)と日蓮像(五老方義:僧宝/石山義:仏宝)で、三つが揃わないという意味です。
石山の現行の客殿式は、先に独学徒さんが挙げた次第ですから、下種三宝を並べた形です。この点、教義の是非は別として、理路が会っているというのは、ご指摘のとおりであろうと思います。
しかし、日興は漫荼羅本尊と日蓮像を置いただけであれば、二宝にしかならないという指摘をしたわけです。日興は宝前のなかに漫荼羅本尊、日蓮像に並んで座っているわけではなかったでしょうから。
さて、では、仏像を置いたかどうか、置けば、揃うが、置かなかったというのが大方の富士義ですね。
石山のような客殿奉安は、他では、あまり、見られません。となると、仏壇に、そもそも三宝を具えさせようなどという考えは、従来の教団にも、当初の日蓮・日興の段階でもなかったのではないかという指摘をしたのが先で言ったことです。
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