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素朴な疑問
3134
:
犀角独歩
:2007/01/27(土) 08:03:02
独学徒さん
> 『住持三宝』の義からいえば「僧宝」とはまさしく法主を指す
執行師は『初期の興門教学に於ける本尊意識の展開』で
――弁阿闍梨の筆録したる「日有御談」には
「上行菩薩の後身日蓮大師は九界の頂上たる本果の仏界と顕れ、無辺行菩薩の再誕日興は本困妙の九界と顕れ畢りぬ」
といって、暗に宗祖脱仏、派祖本仏の思想を洩らしている。なお日要述日我記の「顕仏未来記聞書」によれば、日要上人当時、大石寺には「大聖冥益・当住顕益」の思想があったものゝようである。 ――
と記しております。
富士門下に住持三宝を当て嵌めれば、独学徒さんが仰る筋だと思います。
なお、石山義における一体三宝=御影式、別体三宝=客殿式という記述は、たしか『日蓮正宗要義』のなかに載っていたと記憶します。いま、この本を人に貸しており、手元にありません。もし、お持ちでしたら確認してみてください。或いは、わたしの記憶違いかも知れません。その節は、また、ご教示いただければ幸甚です。
なお、当掲示板で言えば、文殊さんが『現代人が納得できる日蓮教学』579に「生御影と曼荼羅本尊一体三宝奉安」と、わたしの同様の論法で記されていました。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1121476015/579
石山には三宝を三義に立てる考えはなかったと思うのです。
富要で検索すると横浜問答で、蓮華会側の発言では見られます。
「釈尊を仏宝とし題目を法宝とし宗祖等を僧宝…三宝一躰にして差別なく互に冥じ相彰はして一心の本躰を理躰法躰と名け・一心の本性を覚性仏宝と名け・理智和合を僧宝と名く・故に一躰といふ、此の中一躰三宝は理にして相にあらず事にあらわれ相を現ぜば則ち別相の三宝…一躰三宝の徳相をとどめたるが住持の三宝」
日亨氏にも「未来の学問者の為め殊に当寺の住持三宝の為に」という使用は見られますが、これはたぶん、「当寺の住持(住職)と三宝」の意味だと思えますので、三宝三義とは違うでしょう。
恐縮ですが、ご確認いただければと存じます。
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