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素朴な疑問

3020問答迷人:2006/12/11(月) 12:17:16

犀角独歩さん

> なぜ本門が、観心になってしまっているのでしょうか

要は「上行所伝の妙法蓮華経の五字」が観心本尊であるかどうかです。この点に付いては、関係箇所と一緒にご説明します。


>『本尊抄』で重要な点は妙法五字の受持であることは動きません

この点は、認識が合致しているわけです。


>しかし、問答さんの論調は、法のみに目が奪われ、仏菩薩を欠いています。

先日来の議論で、僕は蓮祖の「上行所伝の妙法蓮華経の五字」と言う表現を用いてきました。今、本尊抄の文を引用した関係で「上行所伝」という言葉を省略しましたが、意味するところは「上行所伝の妙法蓮華経の五字」です。
この蓮祖の表現には、この五字を説いた釈尊、並びに四菩薩等の諸尊を前提とた表現であり、法のみでは有りません。仏菩薩を欠くというのは当たらないです。


>「法華経並びに天台大師所述の摩訶止観等の明鏡」という一文です。法華経と止観を明鏡といっています。ところが、それを観心本尊であるとすり替えてしまっています。

この批判も当たらないと思います。蓮祖は「法華経と止観」は言っていません。「法華経と止観等」と言っています。この「等」が何を意味するのかが極めて重要であると思っています。これこそ、本尊抄で説かれた「観心本尊たる上行所伝の妙法蓮華経の五字」ではないでしょうか。これは、最初の御質問に対するお答えでもあります。なぜなら、何度も繰り返しますが、蓮師及びその門下は、妙法五字の受持することに依って観心を成就することが出来るからです。これが「観心本尊」という言葉の意味だと思います。


> つまり、これは妙法蓮華経という本尊をもって観心したということでしょうか。

少しニュアンスが違います。文字通り、「上行所伝の妙法蓮華経の五字」という本尊に依って観心しておられたと思います。


>いずれにしても『本尊抄』の段階で、日蓮は観心本尊を「三身所顕無始古仏…本尊」と言います。つまり、妙法蓮華経五字を本尊であると書いていません。

本尊抄の段階で、という事は、蓮祖の説は、後の「本尊問答抄」の段階では「法華経の題目を以て本尊とすべし」と明示されるわけです。

私見ですが、この「上行所伝の妙法蓮華経の五字」とは「法」ではなく、仏格としての「無始古仏」なのだと思っています。根拠は、「妙法蓮華経」という題号が指し示す実体は、単なる法ではなく、久遠仏であると読めるからです。


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