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素朴な疑問

2999問答迷人:2006/12/09(土) 23:16:58

犀角独歩さん

>観心本尊は凡慮のまったく及ばざるところ、

これは違うと思います。確かに天台の説いた止観の法門は極めて高度な内容であり、凡人の到底及ば無い所であり、機根が合わないと思います。それが為に、蓮祖は、凡夫でも「妙法蓮華経の五字を受持すれば、自然に釈尊の因行果徳の二法を譲り受ける事が出来る」と説いたのが、観心本尊を説いた本義であったはずです。どこまでも凡夫の為の観心を説かれていると思います。それを、「凡慮のまったく及ばざるところ」とすれば、蓮祖の本意を見失う危険があると思います。
又、蓮祖の修行は立宗以降、一貫して題目を自らも唱え、他にも勧められた。どこまでも名字凡夫の修行に徹しておられます。題目本尊=観心本尊でなければ、蓮祖の名字凡夫の振る舞いに合致しないと思いますが如何でしょうか。


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