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素朴な疑問

2839独学徒:2006/09/07(木) 00:15:10

一字三礼さん、

こちらこそ、れんさんと一字三礼さんのご議論に割って入っておきながら、度々失礼を重ねており誠に恐縮です。

>六老僧以外の弟子達はやはり相伝なくして書写をしたのではないでしょうか。相伝無くした漫荼羅書写をした、と言うことを蓮師の意に副わないことではないか、という意味で書きました。

そうでしたか、御意心得ました。
しかしどうなんでしょうか、本弟子以外には漫荼羅に関する教示は皆無だったのでしょうか、私はこの点はいまだ研鑽の手が入っていないのが現状です。

>では、日昭門流では、昭師存命の間は、その門弟達は漫荼羅書写をしなかったでしょうか。日朗門流、日向門流等でも師匠存命の間は弟子達は漫荼羅書写はしなかったのでしょうか。

興門においては、少なくとも目師が興師存命中に漫荼羅(守)を書写していますね。
しかし本弟子達が、蓮師滅後どの程度指示を受けていたのかも定かではありません。
本弟子以外の弟子達も一門流を築き、常忍坊の例のように入道までもが一門を築いています。
常忍坊に至っては、親子関係はあるにせよ、本弟子の一人である頂師を追い出しています。
波木井入道も諸説によれば興師を追い出しているわけです。
また目師より興師在世に漫荼羅(守)の授与を受けた門流では、歴代は漫荼羅書写の際に「富士山日目上人之遺弟」と記すが如く、興師よりも目師を強調しているわけです。
その意味からも、本弟子とその弟子達との漫荼羅における価値相対と、蓮師とその弟子の例とは安易に比較できないとも思えます。
つまり本弟子達は中老以下の弟子達や在家信徒より、ある意味広範な支持は受けていなかったのではないでしょうか。


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