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素朴な疑問

2838一字三礼:2006/09/06(水) 20:10:27

独学徒さん

門外漢の私の投稿にお付き合いいただき、ありがとうございます。

> 普通に考えて、そのようなことは無いだろうと思うわけです。

私の表現が稚拙で、誤解を与えてしまったかもしれません。

仮に朗・興の二師に、あるいは六老全員に漫荼羅の相伝があったとしても、その他の弟子達全てに相伝したわけではなかったのではないかと想像しております。蓮師の漫荼羅の扱いについての慎重さは「新尼御前御返事」から推測できるものです。

現実としては、独学徒さんも仰るように、蓮師滅後に漫荼羅を書写したのは「本弟子以外の弟子達も含め、多数の弟子達」であったので、六老僧以外の弟子達はやはり相伝なくして書写をしたのではないでしょうか。相伝無くした漫荼羅書写をした、と言うことを蓮師の意に副わないことではないか、という意味で書きました。

> しかし漫荼羅書写を禁じた遺誡等は、蓮師も、また直弟子達のなかにも無かったと存じます。

確かに仰るように、漫荼羅書写を禁じた文書はないのですよね。それでも蓮師在世には、弟子達は誰も漫荼羅書写はしなかったのも事実でしょう。そのへんの事情なり、理由なりがよくわからないところです。

> 蓮師が存命の間は弟子達の書く漫荼羅よりも、蓮師の書く漫荼羅を欲するのは当然の価値判断だと思います。

仰ることはわかります。
では、日昭門流では、昭師存命の間は、その門弟達は漫荼羅書写をしなかったでしょうか。日朗門流、日向門流等でも師匠存命の間は弟子達は漫荼羅書写はしなかったのでしょうか。

常忍坊の私見聞を私が読んでもいないのに第一次資料ではない、との断定は言い過ぎでした。
こちらの掲示板で学んでいる内に、独歩さんもご指摘のように、およそ「相伝書」というものは流派の正当性を主張するために後代に作られた物ばかりなので、その信憑性をまず疑ってかかるようにしているので、あのような失礼な言い方をしてしまいました。


犀角独歩さん

> 日蓮の漫荼羅に関しては、その弟子達は「写」であるというわけですね。

この投稿を拝して思ったのですが、「書写の仕方を相伝」するというのは、なんか変な表現ではないですか。

漫荼羅を図顕した本人が教えるのであれば、漫荼羅の図顕の仕方ですよね。

なのに何故「書写」の仕方を相伝するなどと言う事になるのでしょう。今までなんの疑問も持っていなかったのですが、「書写の相伝」というのはずいぶん変なことなのではないか、と思いました。


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