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素朴な疑問

2833独学徒:2006/09/05(火) 20:44:06

一字三礼さん、

>そうは言えないでしょう。後代の弟子達が全て師匠の意に副って行動するということはないでしょう。

しかし一字三礼さんの仰せの通りだとすれば、「後代の弟子達が全て師匠の意に副って行動するということはない」どころか、ほとんどの高弟達は蓮師の意に反した行動をとったことになります。
普通に考えて、そのようなことは無いだろうと思うわけです。
ましてや蓮師ほどの方が、自身滅後の弟子達の漫荼羅書写を認めていなかったとすれば、それこそ漫荼羅書写を禁ずる遺誡なり遺言なりがあってしかるべきだと思います。
しかし漫荼羅書写を禁じた遺誡等は、蓮師も、また直弟子達のなかにも無かったと存じます。

>六老僧にもそれぞれ直弟子はいたでしょうし、孫弟子もいたでしょう。・・・蓮師は一人で書かなければならなかったのでしょうか。

日興の蓮師曼荼羅への添書の例を考えますと、孫弟子等は直弟子を介して漫荼羅授与がなされていたことも考えられます。
蓮師及び門下への「紙」の供給の問題もあったとは思いますが、蓮師が存命の間は弟子達の書く漫荼羅よりも、蓮師の書く漫荼羅を欲するのは当然の価値判断だと思います。
蓮師漫荼羅>門下書写漫荼羅という価値判断は、今も現世も同じではないでしょうか。

>れんさんがご指摘のように、年代表記に矛盾がある以上、常忍坊の私見聞は第一次資料とはできません。

この点につきましては、そのあとの投稿にて日付のあとに「之ヲ始メ」とあることから、常忍坊は「観心本尊抄私見聞」を「弘安6年4月5日」に完成させたのではなく、「弘安6年4月5日」より書き始めたのではないかとしましたが、それでも日付に問題があり上代文献として価値がないとご判断なされるなら、私には他にご紹介できる文書は存じ上げません。

>日像師は蓮師入滅の時の年齢は幾つでしたか、まだ十代前半の子供でしょう。蓮師は子供にまで漫荼羅の書き方を相伝していたのですか。

そうではなく、昭・朗いずれかよりのまた聞きによるものと判断されます。
しかしその文面にには、漫荼羅の座拝なども示されていることから、蓮祖と面識のある上代諸師の段階で、漫荼羅相伝が文献化していた事実として参考になるかと思いました。

私は一字三礼さんの
>「大曼荼羅の書写」は蓮祖の意に副うものとは言えないのではない
とのご投稿とは、考えを異にするものですが、先の私の投稿での「蓮師の意にかなったもの」というのも、不確定な要素からの発信であったと反省する次第です。


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