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素朴な疑問
2820
:
れん
:2006/09/03(日) 18:05:24
一字三礼さん
>2817 六老僧やその他の弟子は、恐らく、佐渡ないし身延で蓮師が大漫荼羅を図顕する有様を、間近で実地に拝見されていたというのが、史実と存じます。ですから漫荼羅の書き方そのものは、蓮師に給仕したお弟子さんならば知っていたことだと存じます。ただし、蓮師在世中は蓮師が図顕にあたり、お弟子さんが漫荼羅を図顕することはなかったのですが…(四条氏の代筆の例は曽存ゆえ不確定要素を含むので今は置きます)。蓮師は弘安五年十月八日に本弟子六人を制定しますが、恐らく、その際、漫荼羅の書写をこの六人には許したと思われます。ただ日尊師の言う蓮師遷化の時の六老僧書写の漫荼羅の存在が全く確認できないので、本来は蓮師が自らの遷化に臨み本弟子に漫荼羅書写の允可を与えたということだったのかもしれません。ただ改めて、統一的な漫荼羅書写の相伝なるものがなかったことは、昭師・朗師が首題の下に自署花押をなした形態であるのに対し、興師・向師が御遺文書写に準じて首題の下日蓮(聖人)在御判と書した形態をとったことから推定されますね。
独学徒さん
>2819
「之ヲ始メ」とあるのでしたら、常忍師が弘安六年に本書の著述をはじめ、晩年にいたるまで推敲されたものの可能性がありますので、仰る通り、興師の身延離山の年期と本書の記述の矛盾はある程度解消されるので、蓮師門下上代の参考資料として貴重なものになりますね。本尊論資料を見ても、朗門と興門には同内容の本尊相伝があり、朗門の相伝に「日昭も同座聴聞」とあって、この各門の同内容のものは、その源流は蓮師在世に溯れる可能性があるということになりますね。
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