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素朴な疑問
2817
:
一字三礼
:2006/09/02(土) 23:40:45
れんさん
独学徒さん
お2人のご見解としては、おおまかな相伝であればあったのではないか、ということですね。
けして反論と言うわけではありませんし、またそのような材料は持ち合わせないのですが、どうもすっきりしません。
弘安2年9月25日の「波木井殿御報」ですでに花押すら書けないくらいに衰弱されていました。10月8日に六老僧の選定があったのですよね、その後、大曼荼羅について教授するだけの体力が蓮祖にあったのだろうか、と考えてしまいます。
もう一点、れんさんが挙げてくださった日尊師の口述ですが、蓮祖臨滅度時に六老僧のそれぞれが大曼荼羅を書写したとすれば、それは認可状とも言える大事なものでしょう。その大事な書写曼荼羅が六老全ての門流で無くなるものでしょうか。
また、そのことが日尊師の口述にしか残っていないのも不自然に感じられます。
常忍坊の「観心本尊抄私見聞」も時代の下ったもののようですし、日朗・日興には’本尊の口伝’があったということですね。これによれば他の四老方には、口伝はなかったかのようにも読めますね。
本尊の相伝書の中にしっかりと資料的な価値を認められるものがないことが混乱の原因でしょうか。
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