[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
メール
|
1-
101-
201-
301-
401-
501-
601-
701-
801-
901-
1001-
1101-
1201-
1301-
1401-
1501-
1601-
1701-
1801-
1901-
2001-
2101-
2201-
2301-
2401-
2501-
2601-
2701-
2801-
2901-
3001-
3101-
3201-
3301-
3401-
3501-
3601-
3701-
3801-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
素朴な疑問
2811
:
一字三礼
:2006/09/02(土) 18:52:55
れんさん
ご教示ありがとうございます。
> 六人の中でも統一されてないことを考えれば、漫荼羅について統一的な書写の相伝があったとは思えません。
ご見解に賛同します。
残された資料からは、蓮祖は六老僧にさえ大曼荼羅の書き方を伝えていなかったし、そしてたぶん例外的なもの(四条氏等の事例)を除いては、蓮祖在世に弟子達も大曼荼羅の書写はしなかった、もしくはさせてもらえなかった。
これらのことから考えられるのは、蓮祖は終生、弟子達が大曼荼羅を書かくことを認めなかったのではないでしょうか。
もう一歩すすめれば、大曼荼羅写筆の教育をしなかった、書写の相伝がなかったと言うことは、自らの死後においても弟子達が大曼荼羅を書写するということを認めていなかったとも考えられませんか。
所詮、大曼荼羅本尊は’蓮祖に始まり、蓮祖に終わる’一代限りのものとも思えます。だから、例え日興が書写したものであっても、日朗の書写であっても、日有のでも、日寛のでも、日顕さんのでも、各門流末寺の僧侶方のであっても、その全てが蓮祖の意に沿ったものとは言えない、と考えるのは少し乱暴でしょうか。
> 時代によって筆法がことなるのは、嘉元以降の後期の場合は後世の偽作を警戒してのことと思われます
日興曼荼羅にも、生きているうちに偽作があったのでしょうか。初めて知りました、ありがとうございます。
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板