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素朴な疑問

2796犀角独歩:2006/08/30(水) 19:28:59

観心本尊という見地は、いったん、置くこととして、印刷、プリント、彫刻などが、信者各人に於いて、本尊として認知される条件というのはいったい何だろうか、と改めて考えてみたいと思います。

学会、顕正会を含む石山圏では、(1)「本門戒壇」の大御本尊の写しである (2)唯授一人血脈相承(したと信じる)者が書写したものである (3)自分が正当と考える団体から受け取ったものである といった条件がプリントを本尊と認知させる条件となっているのでしょうか。

たぶん、ここのサイトに書き込む方々は、最低限でも『御本尊集』は、所蔵しているだろうと思います。仮に所蔵されていなくても、図書館で閲覧したり、ネットで閲覧できます。

http://nichirenscoffeehouse.net/GohonzonShu/001.html

しかし、これら‘画像’を本尊として拝む人はいないでしょう。
冷静に考えればわかりますが、石山から下付された本尊は写しの印刷であるのに対して、御筆本尊は日蓮その人の直筆です。石山歴代の書写物と比し、その価値は天地雲泥の相違があります。ところが、石山圏では、たとえ真筆であっても礼拝対象とはならず、上記、3項の条件を満たしたプリントのほうを本尊として拝むわけです。いったい、信者会員として、刷り込まれた本尊認知という心理操作は、どのような実体なのか、少し冷静に考えてみませんか。


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