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素朴な疑問
2786
:
れん
:2006/08/26(土) 18:35:03
とおりすがりさん
2782
>信徒に下付のものは現在でも日興曼荼羅が原本…
なるほど、ここに、彫刻本尊の内証書写云々が、石山でも後世になっての新義であることがわかりますね。日興上人御本尊集で改めて確認しましたが、正応三年の目師授与のものは宗祖・弘安元年八月の漫荼羅が原本。正応四年と五年のものは目師授与の漫荼羅が原本。永仁四年の僧日乗授与は宗祖・弘安三年三月以降の十界広式を原本としており、正安・乾元年間は概ね弘安元年八月の宗祖漫荼羅を原本とし(但し六師の座配位置が若干異なる)、嘉元にはいると、これに提婆が加わり、嘉元二年八月十五日の書写漫荼羅にいたり迦葉・帝釈が「南無迦葉尊者」「釈提桓因大玉」と表記されるものがあらわれ、徳治以降はこれが大体定型化するというのが、興師書写の大雑把な流れですね。なお興師が弘安三年三月以降の宗祖の十界広式の特徴を書写した漫荼羅を書写したのは、写真が公開されているものでは永仁四年四月八日・嘉元二年九月八日・同年十一月三十日の三幅だけというのが、気になるところではあります。
犀角独歩さん
かつて、私が見た顕師直筆漫荼羅の勧請が迦葉・帝釈天の表記を含め日禅授与漫荼羅と同じでしたので、いま思いますと、ここに顕師の本音があったのかという感じが無きにしもあらずと言う感じですね。
私個人としては、聖僧の化儀を全うされている方の書写漫荼羅が望ましくおもいますが、僧侶の妻帯が一般化した今日では、無理な話でしょうね。というわけで、独歩さん引用の富士一跡門徒存知事の一節の精神には反しますが、現代では蓮師図顕の御筆漫荼羅写真製版を受持するという信仰形態も止むをえないとは愚考しております。
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