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素朴な疑問

2775犀角独歩:2006/08/26(土) 09:56:31

他門下書写漫荼羅に関するご見解は、わたしも同意見です。
重ねて、お尋ねします。

日顕氏が彫刻本尊を写した意図はなかった点は、もとより、これが後世の模造品であると知っていたわけでしょうから、内心・本音ではそうであったでしょう。しかし、建前としては之を「本門戒壇の大御本尊」としていたのであって、この点は、日寛以来の、石山の、本尊書写の有様ではないでしょうか。

もし、彫刻本尊を写したのではないとすれば、では、この「書写」というとき、その原本はいったいなんでしょうか。石山門下にあって、これを彫刻本尊としなければ、日寛以来の教義は、齟齬を来します。

またたとえば、いま、話題になっている「特別御形木本尊」は、讃文、また、釈提桓因を帝釈とするという多少の出入りはあるものの、明らかに彫刻を模しています。既に先に指摘しましたが、「特別御形木」の愛染は、彫刻本尊を模していますし、また、独学徒さんが指摘されたとおり、「經」の、特に糸偏は、その形を模していることは、日達さんに限りません。(この点は追って、また、図形鑑別で示そうと考えています)

決して、言葉尻を取るわけではありませんが、問答さんの論法と、石山における既成事実を併せ考えますと、彫刻本尊を写したのではない日顕氏本尊は門下の書写慣習を妥当に引き継いだものであるけれど、日寛以来日達氏に至る書写本尊は彫刻本尊を写したものであるとなりませんか。


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