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素朴な疑問
2772
:
問答迷人
:2006/08/26(土) 07:59:17
犀角独歩さん
日顕師の、『「奉書写之」の‘之’は所謂「本門戒壇の大御本尊」である』というのは、苦し紛れの言い訳であろうと思っています。戒壇本尊を書写したのなら、「二千二百二十余年」と写さなければ、誤書写です。ところが顕師は三十余年、と認めています。
書写は、相伝にしたがって行われてきた、と言うのが真相であると考えています。もっと判りやすく言えば、歴代の書写に倣って、或いは言い伝えに則って、行われているのだと考えています。
これは、何も日蓮正宗に限らず、日蓮宗各派も同様ではないのでしょうか。
詰まるところ、蓮師の曼荼羅に倣って、そして、伝承によって行われているのだと考えています。
大石寺の場合は、途中、戒壇本尊が作られてから、戒壇本尊を書写する、ということにされてきたけれども、実際には、戒壇本尊を写さずに、従来通り、模倣・伝承によって行われているのだ考えています。
つまり、否定されるべきは、『戒壇本尊』と、『戒壇本尊を書写するという説明』なのだと考えています。大石寺から貸下された曼荼羅を拝む事は、このような理由から、何ら問題なく、蓮師の教えに随ったものだと、僕は考えています。
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