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素朴な疑問
2750
:
れん
:2006/07/19(水) 19:54:44
とんびさん。
とんびさんがお会いになった法華講の方のお話の内容のご投稿、興味深く拝見しました。
ご紹介の法華講の方のご見解を読みまして、ふと初期興門の伝・三位日順文献“従開山伝日順法門”に
「私に云く、無作三身と云ふ事・土岐には煩悩苦の三道にて授らるなり、迷即三道の流転・悟即果中の勝用と云ふ釈にて意を得べきなり、只法躰自爾にして三諦融妙にして已と現する所をやがて其まま相応するを以て無作の三身とは申すなり、地躰無作と云ふ重には三身と云うべきも無きを爾前迹門の有作の三身に対して無作三身と云ふ文なり、又此三身とは十界の三身と口伝するなり、仏界は法身中諦なり、六道と菩薩界は仮諦なり、二乗は応身空諦なり、迹門の三身は法身は中・報身は空・応身は仮なり」とありましたのを思い出しました。
初期の富士にては、所謂る十界を“三身”に配当していたのが興味深いですね。
無作三身なる成句は、蓮師・興師の正文書には使われませんでしたが、比叡山に遊学した順師により初めて使用され、以後の富士の門弟はこの成句を使うようになり、その使用が一般化したのでしょうか?
まぁ、呟きに近い、素朴な疑問でした。
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