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素朴な疑問
2415
:
れん
:2005/05/19(木) 20:54:28
一字三礼さん、犀角独歩さん。
パンナコッタさんと私の呼応にご賛同戴き感謝致します。
室町期の東国目師門伝承の所居国土(常寂光土)戒壇義は、その淵源は「今本時の裟婆世界は三災を離れ四劫を出たる常住の浄土なり、仏過去にも滅せず未来にも生せず所化以て同体なり、此れ即ち己心の三千具足三種の世間なり」(観心本尊抄、興師写本はもともと石山にあったが要山に授与された)でしょうか。目師門では、この己心戒壇義(理壇?)とも言うべき思想を根底とした上で、事相戒壇が主張されたと思われますが、重須では二箇相承に見られる如く、殊に事相戒壇義即ち本門寺戒壇のみ主張された如く見え対照的に見えます。
それはともかく、戒壇院本尊について見ますと、蓮師の観心本尊抄の記述では、一字三礼さん・犀角独歩さんの仰る如く一尊四士が戒壇院本尊と見えるのに対し、興師の弟子・孫弟子である代師・順師になると、戒壇院本尊は曼陀羅本尊に則った仏像安置を主張するに至っています。この変遷は何に依るものなのか常々不思議に思っております。
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