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素朴な疑問

2402犀角独歩:2005/05/16(月) 00:06:57

れんさん、とんでもございません。
当方こそ、いつも有り難く思っております。

それにしても、ご呈示の「戒壇」義というのは、晩期、蓮師はまるで投げてしまったような感があるのに、伝・順師資料などでは、妙に具体的だという印象を抱きます。

わたしは個人的には、鎌倉幕府を、どうとらえるのかという点では考えるべきものがかなりあると思っています。戒壇を云々するのであれば、鎌倉ではなく、やはり、京だろう。その京と密接な距離で話が肥大するのが戒壇義だろうという思いがあります。

それが駿河、北山辺りで話が盛り上がるのは、順師が比叡山遊学という経歴を経て、京風を得て、初めて盛り上がった話なのだろうと類推しています。

先に顕正居士さんが、相承を大学院の免状のようなものに比されましたが、そうなると灌頂は入学式のようなもので、さらに拡大して陳べれば、天奏は天皇折伏というより、いまで宗教法人の認可。戒壇建立は、どこが中心大学かという話のように見えてきます。

信仰的に考えれば、以上、不謹慎と思われる方はいらっしゃるかもしれませんが、このような現代的に翻訳をしないと見えない部分は多々あろうかと思います。

れんさんに同意を求め、持論を強固にしようなどというインチキはもちろん考えませんが、他で吉祥仙人さんが挙げた道理・証文・現証について思うところがあります。蓮師は下克上という道理に反した現象を憤り、経論とういう証文をもって、考えた現証は法華日蓮を用いなければ国が滅ぶという現証だった。ところが、これはついに外れてしまう。そんな晩年で戒壇より、霊山浄土に傾いたのは、至極、自然なことと思えます。しかし、そんな宗祖のメランコリックをよそに、自集団の永続化を考えれば「宗教法人」として確たる手形がほしく、その極は戒壇建立という具体化で、そんななかで意気が盛り上がっていったのだろうかと想像したりします。となれば、題目本尊で、三つの法門が潰えても、戒壇建立は大きな目標となり、相矛盾しながらも、三大秘法という教理整理化は進み、ついには偽書を捏造してまで、確定するに至ったのだろうかと、想像を逞しくしています。

余計な独り言を記し、恐縮です。


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