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素朴な疑問

212いちりん:2002/08/07(水) 22:52
「百六箇抄」には、こういう記述がありますよね。
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又御本尊書写の事予が顕し奉るが如くなるべし、若し日蓮御判と書かずんば天神地祇もよも用い給わじ、上行無辺行と持国と浄行安立行と毘沙門との間には若悩乱者頭破七分有供養者福過十号と之を書す可きなり。
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御本尊書写のことは、わたし(日蓮)が書き顕し通りに書きなさいよ。
日蓮御判と書かなければ、諸天善神の加護はないぞよ。
「若悩乱者頭破七分、有供養者福過十号」と書きなさい。

……というわけですが、ほんとに、日蓮さん自らがあらわした御本尊に、「若悩乱者頭破七分、有供養者福過十号」と書いているのでしょうか。わたしは、まだ真筆本尊で、そのように書かれたものを見たことはないのですけど。

「若悩乱者頭破七分、有供養者福過十号」というこの文句は妙楽が言ったものなんでしょうが、しかし、なんといいましょうか、「罰」と「功徳」で縛り上げているような感じもしますですね。

とくに、「若悩乱者頭破七分」というのは、おっかない。
誹謗したら、頭が七つに割れるぞというわけですから。

これが、「組織を離れたり、法主やら池田先生やらの偉大な人を誹謗したりすれば、頭が割れるぞ」なあんて脅しに使われたりもするし。

あるいは、日蓮さんのじきじきのことばでも、「念仏無間、真言亡国」とか「日蓮を悪しく敬わば国ほろぶべし」とか。

わたしは、つくづく思うのは、自分自身を、ふりかえっても感じますが、宗教の背後には、「恐怖」があるということですよね。みんな、じつは「恐怖」をいだいて、信仰しているなあと思います。

で、どうも、そういう信仰は、違うんじゃないかなあ、ということ。


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