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素朴な疑問

202犀角独歩:2002/08/06(火) 19:42

五月雨さん:

> 「本尊七箇相伝」

ここまで到達されましたか。すばらしいですね。
富士宗学要集では第1巻 P31 に『御本尊七箇相承』の名で載っています。
石山で言えば、「大聖人から興師に伝えられ、血脈付法の猊下に伝えられてきた」と言います。富士年表には弘安5年(1282)10月10日となっています。

この書の末に

弘安五壬午十月十日 日蓮在御判
右此の七箇の大事・唯授一人の秘伝なり聊爾に口外す可からず云云、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、南無日蓮大聖人

とあることから、唯授一人血脈相承の書と石山は言いたいところ、亨師は、あっさり、富要のこの部分に二重線を傍らに引き

年月御名判等の三行に二線を引きたるは後人の偽加なるを以つてなり(1-33)

と否定しています。それにもかかわらず、上記の富士年表の記載があるという矛盾があります。

さらに石山・昭和新訂(3-2719) では「日興記之」とあるも、聖典にはこの部分を削除し、実際は興師本はおろか、上古歴代の写本も、伝えられたものもありません。富要では保田妙本寺山師の写本によったとあります。

現時点さんも引く執行海秀師の『興門教学の研究』第4章第2節本尊七箇相伝と本尊三度相伝に

「本尊七箇大事」に至っては興門流独自の思想が窺われる。
本尊七箇相伝で、一般に云う十界互具を「応仏ノ上ノ沙汰」といい、「出世の応仏は垂迹施権」といい、また「法界即日蓮、日蓮即法界」といい、更に「代々の聖人悉く日蓮と申」などは、明らかに日蓮本仏論を伝えるものである。また惹いては代々の貫首の当体に日蓮聖人を仰ぎ、本尊と見なすのものである。
殊に明星直見の本尊「明星の池に日蓮聖人が影が大曼荼羅の相であったというが如き」伝説は後世のものと見ざるを得ない。(P61)

とあります。私は、この執行師の言をもっともであると思うのです。

なお、二千二百三十余年の件についての説明は問答名人さんのほうが適役であろうと思います。お願いします。


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