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素朴な疑問

2006犀角独歩:2005/02/12(土) 15:49:20

残念ですね、デルトロさん。
あなたの目からご覧になると

> 仏界という最も歓喜溢れる境涯から、
> 離れることをしている

とか認識できませんか。
それぐらいにしかわたしのことが理解できませんか。

また、あなたから見ると、わたしは「疑」の状態にあると思えますか。
信疑、信じることと疑うこと、つまり、これは二極論ですよ。
信都議の間に「答え保留」という広大な領域があります。ここで行われていることは、信疑という二極論から離れた事実証拠の積み重ねによる仮定と真実の追究です。しかし、真義に極論にとらわれると、ここが損なわれしまうのです。それが信疑二極論の欠陥です。

これはけっして、あなたは卑下して申し上げるわけでもなく、いまだ漫荼羅本尊義にとらわれている人を見下して申し上げることでもありません。この単純且つ簡単な大石寺周辺教義で説明されることが絶対でも最上でもなく、その上に無限の境界が広がっているのです。
いみじくもあなたが仰ったように、自ら「蓋」を作ることにより、その上に広がる無限の世界を見ずに終わっていることは、あまりにも勿体ないと、わたしは記してきたのです。
その蓋は、日蓮絶対論、漫荼羅・彫刻本尊絶対論、そこから波及する戒壇を作れば国土が安泰になるなどというお伽噺ではなく、事実として、人類の大脳進化の、さらに永遠の未来に向けた可能性の世界です。

まずは信疑二極論を捨てること、その中間に広がる「答え保留」領域の与えるイデアに捨て去らないこと、些少のものを絶対であるとして限界をもうけてしまわないことによって、心の領域は過去の自己認識の数倍、否、数百倍にも拡充すると言うことに耳を傾けてみてください。
しかし、そこはパンドラの箱です。怖い人は引き返すのも善いでしょう。

最後に、わたしの迷妄を救い・覚醒を促してくれた尊敬する西田公昭師が記した、わたしが座右の銘とする言葉を、あなたに贈り、あなたとの議論を終わりとします。

―― 何か集団のメンバーになっていても、もし何か矛盾する事実に突き当たったら、徹底的に疑ってみることが大切である。もし、個人が疑うことに対して、何か罪的な否定的意識を教えこまれているとしたら、それは科学的思考を一切否定していることと知るべきだ ――

―― たとえどんなに強い確信であっても、それは個人的な経験や推論によって何となく感じているリアリティ感覚によって支えられているにすぎない。そのことをさして、個人的リアリティという ――

(『マインド・コントロールとは何か』紀伊国屋書店)


この突きつけられた科学の目を、無視することでしか成り立たない議論の一切をわたしは拒否してきたということです。


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