[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
メール
|
1-
101-
201-
301-
401-
501-
601-
701-
801-
901-
1001-
1101-
1201-
1301-
1401-
1501-
1601-
1701-
1801-
1901-
2001-
2101-
2201-
2301-
2401-
2501-
2601-
2701-
2801-
2901-
3001-
3101-
3201-
3301-
3401-
3501-
3601-
3701-
3801-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
素朴な疑問
200
:
アネモネ
:2002/08/03(土) 00:57
犀角独歩さん
カウンセラーにも匹敵などと言われると、ふと自分のしていたことが恐ろしくもなります。
だけど今回の場合は、お付き合いも長い仲でしたので、なんとなく苦しみを打ち明けてくれたことが良かったです。もしも私にまでつっぱって、良い部分の自分を繕い続けていたなら、彼女はいつか自分で自分を追い詰めることになり、もしかすると精神的に破綻していたかもしれません。まぁ私も彼女には苦しみを漏らすこともありましたし(そのときは因果を説かれましたけど‥)、そういうことが話せる間柄というのが良かったのかなと思いました。その場合、聞いたことをお寺で絶対に口外しないってこと大事ですね。彼女が私に悩みを漏らすことが出来たのは、そこのところの安心感があったのではないかなと思ったりもします。
大半の人は、信心するほどに、かえって気持ちが追い詰められていく感じがします。苦しみや悩みを抱えていても、うっかり誰かに話せば何を言われるかわかりません。だから講中では、誰にも自分の悩みを打ち明けることなく、表面を繕った人間関係が築かれてます。必要以上に自分を繕うとなると、これはとても危険な状態だと思います。元気で幸せな自分しか見せられない、落ち込んで悩んでいる姿をどこにも見せられない。これは、とても精神的負担の大きい人間関係だと思います。
独歩さんが、神経障害になられた話を読ませて頂きましたが、きっとたくさんの人がそんな切迫された状態にあるのではないかと思いました。潜在的にとても多いのではないでしょうか。それを表に出すわけにはいかないのですから、本当につらいと思います。
多くは、家族共々信心をしているわけですから、家族にさえ弱音は吐けないでしょうし、信心仲間となるとこれまたある意味でライバルみたいなものですから、当然、何を言われるかわからないので相談できない。しかも講の中では、プライバシー保護の意識などまるでないですから、信頼して打ち明けたつもりが瞬く間に講中全体の知れるところにもなりかねません。ならば外部の人となると、これは本来折伏する相手で、この人たちにこそ幸福な姿を示さなければならない相手ですから、自分の苦しみなど打ち明けては、法を下げることを意味し、口が裂けても言えない。
本当に八方塞、心が休まる暇がありません。結局、ひとりで抱えるしかないわけですね。
こんな状態になれば、よほど図太い神経か、いい加減な人でない限り、誰だって神経障害を起こしてしまうことでしょう。純粋でまじめに取り組む人ほど、追い詰められていくのだろうと思います。
独歩さんの通われた先生が、「頑張らなくていいんだ」と仰っていましたね。周りの人がなにげなく励ます言葉が、かえってその人を追い詰めてしまう場合も多いと聞きます。本来励ますことと慰め癒やすことというのは、神経や心へのはたらきが違うのかもしれないと思ったりもします。
カウンセラーの先生方というのは、そういうところを臨床的によく研究なさったうえで、患者さんに自然な対話をなされているのでしょうね。
ともかく、こんな繕いの上に成り立つお寺での人間関係などは改善できるものではないですね。何か少しでも反対意見を言えば、「悪縁がついている」とか、「魔にたぼらかされている」とか、「世法に染まっている」とか全く話になりません。しかもその言葉の挑発にうっかり嵌ると、こっちまでイライラが頂点に達して修羅の心となります。私自身、そんな状態がどれほど長く続いたことか。
お寺に行くにしても、人間関係にドップリつからず距離を置くことですね。程よくそういう距離が置けないなら、思い切って行かないことだと思いました。退転だ、堕地獄だ、などと陰口されることなど、一切気にしないことですね。離れてしまえば滅多に耳にも入ってこないですから、心穏かに暮らせます。
独歩さんにおかれても、五月雨さんや私とほぼ同じように、お寺でのトラブルが直接身にふりかかってきたことで、脱却の機会を得ていらっしゃったのですね。
きっとその時は情けなく、そしてもしかすると死ぬほどつらい出来事でもあったことと思います。安易な因果や因縁になぞらえたくはありませんが、振り返ってみれば大きな転換点だったことと拝察いたします。
そしてそのお陰で、私たちはいろんなことを学ばせて頂いてるわけで、五月雨さんではありませんが、独歩さんから役職を強奪したお寺の方々に、感謝したいような‥言い過ぎかもしれませんが。そんな感じさえします。
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板