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素朴な疑問

197アネモネ:2002/08/01(木) 23:57
(196からのつづき)

彼女はもともと文章を書くことが嫌いだということで、最後の体験発表の原稿作成は、私もお手伝いさせてもらい、折伏のいきさつを聞きながら、一緒に仕上げました。しかし、あの単純な方程式を無視して奇跡を語らないその原稿は、講頭にとっては都合が悪く「お寺のご指導と違います」の一言で、内容が書き換えられてしまったと聞きます。
彼女は、事実を捻じ曲げた内容のものは発表できないと、体験発表を断ったそうです。そしてその後、幹部の方から彼女の家にはひっきりなしに電話やFAXなどのいやがらせが頻繁に入るようになり、ついに電話番号まで変えて、今ではすっかりお寺から距離を置くようになりました。
そしてお蔵入りとなった、もともとの原稿は、彼女のお友達が読んでくれたとのこと、そのお友達も今では、彼女の言葉を通してお寺のおかしさに気付き始めていると聞きます。
また、お寺から距離を置くようになった彼女は、精神的に落ち着きを取り戻し、心に余裕をもって息子さんと接することが出来るようになってきたのです。

先日、彼女とそのお友達にゆっくりとお会いする時間がありまして、掲示板で知ったことなどを、まとめてお話しいたしました。信心歴うん十年のお二人にとって、こうした石山のまやかしに目を向けることは、どれほど勇気のいることかわかりません。だけど彼女たちは、「残された自分の人生を大事にしていくことこそ、今できる本当の信心なのかもしれない」と、つきものがとれたように明るい声でお電話を頂きました。
息子さんの抱える苦しみから逃げたりせずに、きちんと向き合いながら今からでも親子の信頼関係を築いていかれること、私も見守りながら、彼女の人生の片隅に付き合っていこうと思っています。

>最後に「法華講は冷たいね。」と言われ、言葉を失いました。

私のお寺を見る限りのことですが、活動を励ます(煽る)ことはあっても、人知れず抱える苦しみに対してはまるで無関心ですね。心を励ますことはもちろんのこと、慰めることだって少ないです。せいぜい陰で無責任な因果を説いているのが関の山でしょう。
かつて、私が法華講に理想を求めていた頃、ひきこもりが社会問題になっていることを座談会で持ちかけてみたことがありました。ところがそのテーマは、私にとっては思いもよらない方向に展開してしまいました。結局、ひきこもりは、外道の人たちの宿業深い謗法の結果なだから、そういう家庭をみつけたらポストに大白法を入れようとかいう話になったんですね。本当にそんなことをしたら、余計苦しみを与えるだけです。私はこの結論に、ものすごい責任を感じましたよ。

>なんだか、重たい書き込みになってしまい、申し訳ありません。

とんでもありません。これからも思うところをなんでも書き込んで下さい。同じ苦しみを抱えていらっしゃる方の、気持ちの負担を和らげるものになることと思います。

私は、仕事の波があったりして掲示板を開けない時期もあるものの、時間が許されるときには出来るだけ毎日のように開いて、レスを読み、書き込みもさせて頂いてきました。表情が見えないぶんだけ、誤解が生じたり、またときには知らないうちに人を傷つけてしまうようなことも書いてしまい落ち込むこともありますが、だけど、ものを書くという作業は、非常にプラスの面が大きいなと思ってます。書くという作業は、自己分析が出来るひとつの方法なのかもしれないと思うのです。また書いたものを自分以外の人が読んで感想をもらうことで、自分では気がつかないところなども見えるようになります。時には意見がぶつかることもありますが、まさにそれは産みの苦しみですね。長い目で見れば、それも大事なことです。
お陰で、掲示板で毎日たくさんの方にお会いしている気持ちになっています。こうして孤独な迷子さんにもお会いできました。どうか、心身にご無理のないところで、これからもよろしくお願いいたします。


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