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素朴な疑問
1948
:
犀角独歩
:2005/02/10(木) 01:17:44
―1947からつづく―
> 日蓮リーグの話を気に入ってくださったなら恐縮です。
たいへんに優れた比喩でした。
> なぜ日顕上人…最大のスポンサーである学会を手放してしまった
もっと、自分のところに着くと誤算したのではないでしょうか。
学会の半分ぐらいは自分たちに着くと「とらぬ狸の皮算用」をしたのだとわたしは思っています。
> 経済的にも疲弊する茨の道
これは石山が捏造した美談でしょう。
本当か嘘か知りませんが、富士宮筋の金融通に言わせれば、石山は1兆円持っているそうですよ。
奉仕供養という登山の際に阿部さんに直接する献金は、個人の収入になっているのではないでしょうか。奉安堂の建立でもずいぶんと儲かったという話も伝わります。これは未確認事項です。しかし、学会破門後、六万塔、客殿、奉安殿等々、後からあとから、多造塔寺の限りを尽くしましたが、必ず、ゼネコンその他のバックマージンは阿部さん個人の懐に転がり込んだのではないでしょうか。これが昔だったら、創価学会というクッションが入ったので思うままにならなかった。いまは、直参だからやりたい放題ではないのか?と、わたしは見ています。
阿部さんは、登座してどれほど、金を掴んだ、まあ、人が聞けば腰を抜かすような額ではないでしょうか。それによって、石山歴代の阿部家世襲制を不動のものにしたという分析もあるぐらいです。この前の石山の坊さんの会合で、(石山内でしか通用しない言い方ながら)高僧が、信彰さんをヨイショした話を聞いて、わたしは吐き気を催しました。いずれにしても(後世の創作であるにせよ)『大集経』の「多造塔寺堅固」の次に来るのは、「白法穏没」と相場は決まっています。
まして、阿部さんは、教学部長時代に既に彫刻本尊が禅師授与漫荼羅を原本にした構成の偽物であることは知っていたのでしょう。知ったうえで、登座し、池田さんを法華講総講頭に返り咲かせ、さらに破門し、創価学会も破門した。そのなかの彫刻が偽者であると知りながら、正本堂を壊したうえで、奉安堂を「再建」したのでしょう。「神をも恐れぬ」ならぬ「仏をも恐れぬ所業である」と、わたしは弾劾するものです。
> 学会を許せなかった原因
先に引用したハッサン師は
「破壊的カルトは、どんな種類の反対も我慢できないのである。人々は賛成するか(または入会候補者とみなされるか)、さもなければ敵である」(P188)
「自分が組織の中で上昇して(略)私はますます憑かれた人間になっていった。権力がほとんど中毒になっていて、選択するときには、道徳的に正しいことより、自分の権力を守り増大させることを基準としはじめていた」(P299)
という指摘は、阿部さんにも当て嵌まると思えます。そして、何より
「今日の破壊的カルトの指導者には、自分自身かつてカルトにいたため、意図的に金をもうけたり人々を利用したりというつもりからではなく、ただ妄想とマインドコントロールから行動している人物も多い。私がカウンセリングをして救出をした人々が入っていたいくつかのグループのリーダーは、『金銭のためにやっている』のではなく、私の見るところ自分の影響力に中毒になっている人間たちだった。多くの破壊的聖書カルトのリーダーは、目立った浪費家でもなく、神と聖書を自分より上の権威としているように見える。にもかかわらず、聖書と神意に関する彼らの解釈が、人々を操作しコントロールするのに使われているのである」(P183)
というカルト全般に亘る批判を換言すれば、
「今日の破壊的カルトの指導者には、自分自身かつてカルトにいたため、意図的に金をもうけたり人々を利用したりというつもりからではなく、ただ妄想とマインドコントロールから行動している人物も多い。私がカウンセリングをして救出をした人々が入っていたいくつかのグループのリーダーは、『金銭のためにやっている』のではなく、私の見るところ自分の影響力に中毒になっている人間たちだった。多くの破壊的御書カルトのリーダーは、目立った浪費家でもなく、神と聖書を自分より上の権威としているように見える。にもかかわらず、御書と仏意に関する彼らの解釈が、人々を操作しコントロールするのに使われているのである」
と読み直すとき、まったくその批判に当てられると、わたしは考えています。
各教団の美談は、鵜呑みにすると、酷い目に遭います。真実を見つめる勇気は、時には苦悶を伴いますが、しかし、真実に至る道程であれば、痛くして痛からずです。
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