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素朴な疑問

1926犀角独歩:2005/02/08(火) 20:47:03

デルトロさん、まだロムしていますか。

わたしの結論は、こうです。
ここでわたしが行って来たことは、カリスマ信仰、器物信仰、集団信仰から脱却です。
仏教は、実は極めて自立・自律です。
わたしが極度の神経障害から立ち上がるカリキュラムで、もっともしんどかったのは、自分の頭で考え、自分で決断をすることでした。
なぜならば、それまで、答えはすべて経典・御書を解釈する集団・指導者が用意してくれていたからです。ではあとはなにをやっていたか。それを「信じ・実践すること」だけです。

脱会という機縁で、その思考と決定権を自分の手に取り戻したものの、では、どうしたらよいのか…。その時、初めてわたしは気付いたわけです。自分は何も考えてこなかった。ただ、考えられてきた形を、信じることだけをしてきただけだったと。そこからの立ち直りの道程は、自立・自律、依存から脱却であったわけです。しかし、その道程で、気付いたことは、なんと、この宗教からの立ち直りと、神経障害からの立ち直り、カリキュラムの酷似です。
しかも驚いたことに、原始経典から垣間見られる釈尊の教説は、このような到達点とも、よく一致しているということでした。

その意味で仏法は捨てたものではないと、わたしは思っています。
なお、わたしは天台の教説を全面的に認める立場ではありませんが、

> 蓋をはじめて開放した…

という一説を拝読し、『摩訶止観』の「蓋を捨てよ」という一節を思い出しました。

なおまた、デルトロさんは、少しも場違いな人ではなく、また、吉祥仙人さんも、殊に揶揄したわけでもないと思います。むしろ、デルトロさんの新鮮、かつ独自の観点に感嘆の意を表したのではないでしょうか。わたしも、少なくともそのように感じましたよ。

それにもう一つ。当掲示板で、もっとも場違いな人間であると思われているのは、このわたしです。わたしを批判する投稿をお読みになれば、直ちにそれは了解されるでしょう。わたしは富士門の掲示板で、富士門の屋台骨を次々と切り倒しているからです。

しかし、でも、わたしは知っていることがあります。それは何か。仮に富士門の一切合切を叩きつぶしても、信者である人々の清廉な精神は決して死なないということを、です。

もう少し、ゆっくりとここで逗留されることをお奨めしますよ。


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