[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
メール
|
1-
101-
201-
301-
401-
501-
601-
701-
801-
901-
1001-
1101-
1201-
1301-
1401-
1501-
1601-
1701-
1801-
1901-
2001-
2101-
2201-
2301-
2401-
2501-
2601-
2701-
2801-
2901-
3001-
3101-
3201-
3301-
3401-
3501-
3601-
3701-
3801-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
素朴な疑問
1926
:
犀角独歩
:2005/02/08(火) 20:47:03
デルトロさん、まだロムしていますか。
わたしの結論は、こうです。
ここでわたしが行って来たことは、カリスマ信仰、器物信仰、集団信仰から脱却です。
仏教は、実は極めて自立・自律です。
わたしが極度の神経障害から立ち上がるカリキュラムで、もっともしんどかったのは、自分の頭で考え、自分で決断をすることでした。
なぜならば、それまで、答えはすべて経典・御書を解釈する集団・指導者が用意してくれていたからです。ではあとはなにをやっていたか。それを「信じ・実践すること」だけです。
脱会という機縁で、その思考と決定権を自分の手に取り戻したものの、では、どうしたらよいのか…。その時、初めてわたしは気付いたわけです。自分は何も考えてこなかった。ただ、考えられてきた形を、信じることだけをしてきただけだったと。そこからの立ち直りの道程は、自立・自律、依存から脱却であったわけです。しかし、その道程で、気付いたことは、なんと、この宗教からの立ち直りと、神経障害からの立ち直り、カリキュラムの酷似です。
しかも驚いたことに、原始経典から垣間見られる釈尊の教説は、このような到達点とも、よく一致しているということでした。
その意味で仏法は捨てたものではないと、わたしは思っています。
なお、わたしは天台の教説を全面的に認める立場ではありませんが、
> 蓋をはじめて開放した…
という一説を拝読し、『摩訶止観』の「蓋を捨てよ」という一節を思い出しました。
なおまた、デルトロさんは、少しも場違いな人ではなく、また、吉祥仙人さんも、殊に揶揄したわけでもないと思います。むしろ、デルトロさんの新鮮、かつ独自の観点に感嘆の意を表したのではないでしょうか。わたしも、少なくともそのように感じましたよ。
それにもう一つ。当掲示板で、もっとも場違いな人間であると思われているのは、このわたしです。わたしを批判する投稿をお読みになれば、直ちにそれは了解されるでしょう。わたしは富士門の掲示板で、富士門の屋台骨を次々と切り倒しているからです。
しかし、でも、わたしは知っていることがあります。それは何か。仮に富士門の一切合切を叩きつぶしても、信者である人々の清廉な精神は決して死なないということを、です。
もう少し、ゆっくりとここで逗留されることをお奨めしますよ。
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板