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素朴な疑問

1921犀角独歩:2005/02/08(火) 19:33:49

吉祥仙人さん、端的に申し上げましょうか。
印刷漫荼羅を作ることほど、わたしは漫荼羅に対する冒涜も、不敬もないだろうと思っています。だからこそ、興師は禁止したのでしょう。

我が家が昭和28年の入信です。物心ついたときに、仏壇のなかに線香の煙で煤けた寛師形木本尊がありました。わたしが勤行を覚えたのも、題目を唱えたのも、その本尊です。昭和52年、正本堂が建立し、特別御形木本尊が授与されることになりました。
母は「今度は、もっと大きな立派な御本尊様が来るから」、そう言って、仏壇からその煤けた寛師本尊は外されました。父は、それを丁寧に袱紗を包み、背広のポケットにしまいました。
「本部に行って来る」、そう言って、外に出ると、タクシーに乗り込みました。
その瞬間、わたしは、元の寛師本尊に二度と会えなくなることを咄嗟に悟ったのです。
「…、待って」、そう小さく叫んで、父の乗ったタクシーをわあわあ泣きながら追っかけました。母はわたしを引き留めました。「あの御本尊様はどうなるの。ねえ、どうなるの?」、そう聞き質すと、母は困った顔をしました。
「お山に帰るんだよ。それで大切に保管されるんだよ」
「ほんと、ほんとなの」
わたしは何度も聞いたのを覚えています。
「大切に保管してもらえるのならばいい…」と、そう自分を納得させたのです。
でも、事実は違っていました。石山に大量に返却されたそれまでの本尊は焼却炉ですべて燃やされたわけでしょう。
わたしは、このようなところにも石山信仰の実態というものがあることから、目を背けられません。


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