したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

素朴な疑問

1916犀角独歩:2005/02/08(火) 13:38:21

デルトロさん:

辛い日々を送られたのですね。
わたしは25年前に倒れました。
それからは自分を苛む日々でした。
そんな当時の心象風景が、いまあなたの投稿と重なります。
辛い日を送りました。こんな掲示板は勿論ありませんでした。
カルトという言葉すらありませんでした。
生まれながらの日蓮正宗・創価学会であったわたしは、答えを、そこ以外に求めませんでした。
答えはすべて仏法のなかにあるとも思い込んでいたからです。

> 何かひどい目にあっても、それは自分のしでかしたことが原因

このような考え方を「自罰性」と言いますね。
『マインド・コントロールの恐怖』(恒友出版)でハッサン師は

「自己処罰に積極的に参加する人は、やがて自分がその罰に値するのだと信じるようになる」(P116)
「無意識のレベルで、このグループに加わることで自分の『罪』を罰していた」(P292)
「(あるメンバーは)やめると気が狂うという観念を(略)埋め込まれていた。驚いたことに、彼はやめたあと本当におかしくなった。両親は彼を病院へ連れていった。医師たちの意見では、彼はたしかにおかしい、実際分裂症だ、というのだった。青年はこの診断を、自分のリーダーが正しかった証拠だと解釈した」(P306)
「(あるメンバーは)もしグループをやめようものなら自己破壊を起こすのだと条件づけられていた。そして実際やめてみると、まさにそのことが起こりはじめたのだった−−救出カウンセリングに出会うまでは」(P307)

わたしは、この本の、上述の記述に出会うことによって、それまでの自罰的生活が脱却することが出来ました。その後、わたしは優秀な学者、カウンセラーに出会うことが出来、今に至っております。

わたしが創価学会にいたとき「御本尊を破ると、同じように自分もバラバラになって死ぬ」などと脅かされたものでした。たぶん、こんな呪文は顕正会をはじめ、石山教義への強い信念体系下では今でも語られていることでしょう。しかし、実際のところ、昭和20年代より創価学会の中堅幹部を務めた親の元で育ったわたしは、ゴミ捨て場に捨てられたり、壁に貼り付けられたり、破却されたこと、燃やされたことなど、たくさんの事実を見聞しています。その実行者も多く知っていますが、特に、それに見合う「罰」が当たるものでもありませんでした。

上古を探れば、蓮師の御筆漫荼羅ですら、信者が亡くなるとともに埋葬された事実は散見でき、また、漉き返しにしたことも窺えます。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板