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素朴な疑問
1908
:
犀角独歩
:2005/02/07(月) 22:08:23
デルトロさん、どうも。
なんか、自分でも不思議なのですが、デルトロさんの疑問と言うか、感性は、わたしは実にすとんと腑に落ちるのです。まあ、わたしが御書・富要オタク(ほかは弱くて、れんさんにお叱りを受けたり、顕正居士さんに補っていただいたり、暴走は愚鈍凡夫さんがかっこよくフォローしてくれたりですが)で、まあ、蓮師文献は好きです。御書はあまり開かない…、けれど、何かを言い張るわけではないので、別段、それはいいでしょう。
> 大聖人の仏法は信じるに足りるものなのでしょうか?
この点は、わたしも実に興味があります。
正直、申し上げ、大乗経典の一切は後世の創作物語、漢訳仏典は致命的な違訳・意訳の山、天台も「うーーん」と唸るところも多く、御書に至っては半分は真偽未決、中世、相伝は信じるに足らず……。しかし、信者さんのなかに功徳の体験を熱く語る、このパラドクスは如何に?というところでしょう。
現世利益(功徳)は…、「うーん」ですね。
これはわたしが高校生のとき、キリスト教の友人と72時間の長期激論をしたときのことです。
わたしが「利益も出ないような信仰は力がない!」と、まあ、創価学会で教えられたことを「確信」を持って語ったわけです。
友人いわく、「キリスト教では、利益を考えてやる信仰を貧しい信仰であるという。功徳があろうがなかろう、ひたすらに神を信じること、それが見返り、損得を考えない純粋な信仰だろう」とやり返されました。実は、そのときから、30有余年、この点について、腕組みをしたまま、今でも考え込んでいます。
難しいご質問を投げかけられますね。
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