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素朴な疑問

1884犀角独歩:2004/11/09(火) 14:06

>1882

リンク先を拝見しました。
要するに、いちばん、肝心の2点、アプローチの仕方がわたしと違うわけです。

(1)並べられる写真のサイズをまず、「南」〜「經」で同一にして比較すること

こうしませんと文字の比率の差がよくわかりません。同一サイズにすると、けっして「南」字は小さくありません。
「華」も輪郭を重ねると、ほぼ相似形をしています。字画・光明点の伸びる角度まで一致しています。
「經」旁‘リ’‘ツ’の相違は、もちろん現宗研の講演で考証しています。
「ツ」1画目「ノ」の位置に「華」の縦棒が一致しています。この点で彫刻本尊では作為があるというのがわたしの考えです。その他の部分でも、字画運筆がぴたりと重なります。

(2)パッチワークであることを意識すること

彫刻本尊の制作過程を木下日順師は「よせもの」と称しました。稲田海素師の「4部構成」説もいうべき考えを踏襲したものです。ですから、文字一字々々は似通っていながら、その‘置かれる位置’にズレがあります。その理由は

 a:原図から持ってきた字を板面でパッチワークして、再構成している
 b:北山蔵と石山ではレイアウトの相違がある

などの点によるとわたしは考えています。

以上、サイズとパッチワーク、この点を外して、原本と模刻は縦横・配置まで、ピタリと同じはずだという固定観念は事実を見落とす先入観であることを意識しなければならないというのが考証段階におけるわたしの発見と反省でした。
たぶん彫刻本尊は複数原本の臨模、さらに制作者の作為という複雑な要素が絡んでいることを考慮しなければ事実は見えてきません。

ところで頭角無類さんアップの写真、もう消えてしまったんですね。


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