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素朴な疑問
1873
:
れん
:2004/11/06(土) 21:56
犀角独歩さん、寝る間もない程忙しい最中に、私の投稿で失礼いたしました
>この大曼陀羅(ケイタイではマンダラのダの字が蓮師の使用されている字に変換できないのでこの表記でご容赦ください)は興師への「上人号」を与えるためのものと想像…
私も同じように考えます。曼陀羅授与書に「日興上人」と記して上人号を与えた一つの傍証が弘安二年十月十七日付けの興師宛ての蓮師書状「聖人等御返事」(興師写本北山蔵、御筆写真・興風第11号263ページ収録)と考えた方が自然ですね。
>興師授与「上人号」下賜を具えた弘安二年曼陀羅、その当時として際立った「三十余年」で、その讃文を受け取ったことを名誉と誇りと考えられた興師とその一門…
私も、二箇相承や本門寺額をはじめとする北山文書が次々と生まれた背景は、まさに犀角独歩さんのご考察の通りと思います。なお熱原法難時の蓮師書状には「伯耆殿日秀日弁等下」「下伯耆房」と蓮師が記してますがこの「下」字について興師は「六人御弟子中ニモ下字給たるハ日興外仁無之」と非常に誇らしげに記しているのが印象的です。熱原法難時における蓮師よりの興師宛て曼陀羅による上人号授与と興師宛て書状における「下」字の使用に、興師は生涯名誉と誇りを持たれておられたことと思います。
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