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素朴な疑問

186いちりん:2002/07/29(月) 11:48

そして、これもわたしに即して振り返ってみると、日蓮主義とくに冨士門流は、きわめて「理屈が強い」というエネルギーになりやすいんですね。

なんたら相対だの、本果第一番成道が、文底がどうたらと、小難しい論議がえんえんとあります。あるいは、知識のストックをたくさん持っていて、引き出しをあけて、「ああそれについても、誰それはこう言っています。原典ではこうですね」みたいなことが、好きになります。

で、いつしか、頭で理屈とか意義付けしながら行動するみたいな人格になりやすいのかもしれません。大脳の左半分の言語能力が鍛えられて、逆に、右半分の直感とか感性の能力が抑圧されていく。

で、世の中というのは、だいたいはいい加減で、デタラメで、ワケが分からんということですよね。理屈ではなんともならない。ひとつひとつ価値判断を加えて考えて理屈をもってしたら、身動きができない。

むしろ、直感ですぱっと動く、いいなあと感じたら進んでみる、みたいなにほうがうまくいくこともある。

なにより、「自分が好きなこと」に打ち込まないと、力が出てこない。好きでないことをやると、すごい努力が必要だし、長続きしない。

で、どうも、冨士門流の教義というかエネルギーには、「好きなことに打ち込め」というのが、排斥されるんですね。なにか、広宣流布だとか、正義だとか、そういう形作られた理念みたいなものに邁進するがすばらしいと思いこまされる。で、自分が好きでもないのに、○○のためにといって、頑張る。

頑張るというのは、好きでないのに、しんどい努力をしいられることですよね。それは、好きでないから、ワクワクしたビジョンや発想がない。「つらいことを頑張っている、我慢している自分はすごい」というような、へんな満足が出てきたりする。それで、ますます感性が鈍感になっていく。

というわけで、なかなかいい仕事ができないのかなあと。。
これは、わが人生を振り返りましてのことで。。


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