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素朴な疑問

1859犀角独歩:2004/11/05(金) 13:57

れんさんのあまり記されない(笑)に「!」と目を惹かれました。

> 禅師授与…弘安三年五月の蓮師図顕曼陀羅の諸特徴を備

ええ、仰るとおりですね。
けれど、ある方は「妙海寺漫荼羅を原本にした臨模じゃなかろうか」と仰っていました。ご意見としてはものすごく面白いですね。

それにしても、ようやくと、北山禅師授与がネットで流通が始まりましたか。
れんさんはご覧になり、どのような印象を懐かれましたでしょうか。

わたしのほうは、本日、先だっての講演内容を載せた出来上がります。
カラー版、50頁足らずです。来週月曜にはプレリリース版、こちらは120頁ほどで白黒版です。本番リリースは、そっちにかまけている間にまた少し遅延しています。
本を出すというのは本当にたいへんです。

“いまの”彫刻本尊は禅師授与漫荼羅の臨模作為が原本…、まあ、これは「図形から見た」という着想ですから、文章で違うと言われると困ります(笑)

わたしは勝手発想で記せば、中世は完則師図に見られる如く「在御判」の入ったもの。憲師実見の段階でも別物。それより以前は、第82でそれに充てた、腰書きが付いたのは台座に据えられたであろう精師段階、御影堂から宝蔵に遷されたとき。けれど、この段階ではまだ‘いまの’ではなかったろうと。寛師がいう「本門戒壇本尊」も案外別物ではないのかと思っています。それは寛師の諸尊勧請からそう思うわけです。なにせ「奉書写之」ですから。なんてあれこれ、考えています。

以下、さらに雑談。案外、禅師授与漫荼羅の宣伝効果を狙った『誑惑顕本書』に上手く操られ、さらに幕末の火事で燃えてしまった代わりを造るのに使われたのが禅師授与漫荼羅なんてストーリーだとすれば、いまのは150年ばかりのもの…。それも正本堂で修繕の折ですり替わり、いまのはもっとも新しいなんていう方もいらっしゃりますが。まあ、これは諸説の紹介で、書籍にまとめた内容とは、ぜんぜん別の自由発想ですが。

いずれにしても、興師に由来すれば弘安2年漫荼羅は「二千二百三十余年」である点は動かないと、これは文献的に思います。また、その時点で「本門戒壇漫荼羅本尊」などという発想自体、抑もなかったろうと思います。その発想が生じるのはいったいいつ頃であるのか、いずれにしても戒壇院は天皇受戒の場ですから、そうなれば、紫宸殿本尊の如き発送が生じるのも当然と思えます。天皇用の漫荼羅本尊が戒壇院マンダラでなければ、整合性は採れないことになります。けれど、本尊が仏像であれば、、その造立はもちろん天皇ご本人となるのでしょうね。


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