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素朴な疑問
1853
:
亮太
:2004/11/04(木) 00:57
犀角さん 初めまして
北原徳善師は現在82歳になると思います、戦前は法華宗本門流の僧侶でしたが、
戦後復員してから、淳師を師範として改宗されてからは、大杉山有明寺復興時
に住職、その後に伊豆長岡町の慈光寺初代住職になり、宗創問題に本山の姿勢
を糾されて、それが基になり大村師と論戦されたが、最初から戒壇本尊を否定
していた訳ではなかったそうです。
離宗後も師僧たる淳師・達師の恩を大事にされ本尊問題に悩まれたそうです。
奥さんもそれ以上に悩み、唱題を重ねるうちに様々な研鑚もされたと・・・・
戒壇本尊の疑いを持つようになったのは、河辺メモが流出する以前から故山口
師から、日禅授与の本尊の首題と花押が一致する不自然さを聞いていたそうです。
本来、人類の幸福と寺門興隆の繁栄を旨とする北原師には、宗門という封建体質
極まりない組織よりも、宗祖のご妙判を声として信仰をされています。
私は、北原師の説く宗祖根源の妙法蓮華経の五字の帰依こそが根本だと信じてい
ます、余談ですが大村能化に「一念三千法門」からの一説を問い糾したそうです
「妙法蓮華経と唱ふると時心性の如来顕はる。耳にふれし類は無量阿僧祇却の罪を滅
す。一念も随喜する時即身成仏す。縱ひ信ぜずとも種と成り熟と成り、必ず之によっ
て成仏す」この一文に板本尊とは説かれてもいないし、他のご妙判も同一に妙法蓮華
経の大事は説かれているが、この辺りはどう説明するか、僧侶として論理的に分かる
よう迫ったが、何一つまともに話にならなかったみたいです。
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