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素朴な疑問

1845犀角独歩:2004/11/03(水) 11:04

頭角無類さん:

れんさんへの問いかけも含んで記させてください。

> もし大石寺蔵と北山蔵が同じであった場合…「彫刻曼陀羅の原本」とはなり得ない…彫刻曼荼羅は、写真で見る限り、この「おかしな点」がない

これはどの点を仰っておられるのかわかりませんが、わたしは違う見解を懐いています。北山禅師授与漫荼羅と彫刻本尊を比較すると、籠抜きで写したのかと思うほどピタリと重なる部分(妙旁「ノ」と法のさんずい、蓮華の2字)があるかと思うと模写(籠抜きと別)というほど正確に写そうとしながら微妙な相違を示す部分(無の字など)また、明らかに作為と見られる部分(經旁)を孕み、単に臨模・作為のどれかと決めがたい側面を持っています。

また、サイトでも記したとおり、愛染の筆法は他筆以外の何物でもなく、この一点をとれば、彫刻本尊の「下書き」は間違いなく他筆です。また、原本は禅師授与漫荼羅ばかりではなく、『河邊メモ』にあるように諸尊勧請などは時師、もしくは有師の筆を採用しているのかも知れません。また、花押などは制作当時の責任者(たとえば石山住職)が自ら積極的に臨写しこれを据えた可能性もあろうかと思います。わたしが今回、鑑別に挑んだのは中央題目・日蓮花押・四大天玉・愛染不動です。このなかで、中央題目、四大天玉は臨模、不動愛染は線の一部を使いながら作為というのが結論です。

諸尊勧請の一々と讃文はたぶん禅師授与と全同であろうと想像しながら、しかし、腰書きにいたっては「造立・敬白」の文がある以上、彫他筆であることは当然のことです。すなわち、「本門戒壇」の4字は他筆であり、相貌欄外に記されたものであれば、漫荼羅相貌本体に「本門戒壇」の4字が記されたその意義を添加されたこととはまた別の真偽論がここにあります。

> 「本門戒壇本尊」が本物ではなかった場合、制作者は「おかしな点」に気づいていたことになります。果たして原本になりえたでしょうか。

この発想は山中喜八師が『本尊集』を発刊したのちの論理であって、わたしは気付かないであろうと考えます。一例を挙げれば、れんさんがご指摘くださったとおり、石山六壺本尊は興師に仮託した偽物であるのに、石山信徒のほぼ全員があれを本物と信じています。中世の石山歴代、もしくは学僧と言っても、一生涯で拝謁できる御筆漫荼羅はほんの数体であったでしょう。また所属寺院で蓮師真筆と言われた本尊を偽物と疑う自由発想は持ち得ないのが信仰者の火坑です。わたしは彫刻本尊全体を見るに付け、この制作者は、蓮師御筆大漫荼羅種々の特徴のなんたるかを知らずに作為に走ったと溜息を禁じ得ません。それは換言すれば、この制作者とその時代背景はいま我々が知り得る大漫荼羅筆法の知識よりかなり劣っていることを物語っています。だからこそ、禅師授与漫荼羅を原本として採用したのでしょう。

>> 彫刻本尊の写真は熊田氏がなぞっている
> 私もこの点はそうだと思います

ただし、石山僧が「熊田氏のセンスで、主題と花押と、あと不動、愛染、四大天王等について修正が加えられている」という点には大いに異論があります。わたしが彫刻本尊に北山禅師授与漫荼羅の輪郭を重ねた限り、大部はほぼ重なったわけです。そうなると、熊田氏はほぼ禅師授与の如くに「氏のセンスで…修正が加え」たことになります。しかし、このようなことは不可能です。なぞった線が禅師授与漫荼羅の輪郭と一致すると言うことは、元の写真が禅師授与と相似の関係にあり、それをまた熊田氏はかなり正確になぞったことを意味します。

その意味において、彫刻本尊の写真は熊田氏のなぞった線で元のものとは違うという考えは説明として成り立ちません。

殊に愛染の筆法について、他筆である点、これは本にも写真を明示してはっきりと記しますが、あの異常な筆法を示す愛染の書き方を達師は正本堂建立時点で書写本尊に採用しています。わたしは当初、この愛染こそ、熊田氏の作為と疑ったのですが、達師書写本尊の筆法を見たとき、振り返って彫刻本尊の有り様がそうであったが故に達師はそのように記したのだと考えざるを得ない結論となりました。

全体の相違はまさに愚鈍凡夫さんが仰る意見にはわたしは賛成です。
「筆の運びや字体にも違った工夫が見られる」とまさに感じた次第です。


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